今日から学年末テストが始まった。しかし、テスト中にお腹に迫り来る激痛。それもグルグル、というのではなく、キリキリ、と傷む。原因は何だろう・・・。

長く抱えてきたストレスのせいであろうか?充分に考えられた。笑うと痛い。歩いても痛い。鼻をかんでも痛い。座っても、立っても痛い。とにかく少しでも腹筋を使うことになると、激痛が走る。まさか・・・もしかして・・・

家に帰って、横になる。お腹を暖めても直らない。まずい・・・。ここで盲腸で手術にでもなってみろ!三ヵ年皆勤賞が消える。いや、友達と会える貴重な一日が消える。

だが、放屁をしたら、すっかりよくなった。やっぱり我慢はよくないようです。でもテスト中にするってのも・・・考え物だ・・・。
昨日、テニスの更衣室にて、シャワーを浴び終わった後に体重を測ったところ、2キロ痩せていた。更に、親に、「あんた疲れた顔してるわね。」とも言われた。

かなりきつい状況だ。やるべきことは、10日後に控えた一般入試の勉強であるはずなのに、頭の中ではそれ以外のことで、パンクを起こしそうだ。勉強しようにも、やはり将来がど〜のこ〜の考えてしまう。邪魔なのに、俺の頭が勉強を拒否している。というよりも勉強が入る余地がない。このままではまずいとは思っても、やはり内面的な問題はどうにもならない。

俺はいつになれば、この悩みから解き放たれるのだろう・・・。確実に人体に、ストレスというものが溜まり、そして体を犯していく。背中の痛みも半年治っていない。接骨院の先生は、多少ストレスの問題でもあると言った。だが、いろんな意味で辛かった受験が終わろうと、俺のストレスがなくなることはない。むしろ現実味を帯びて、更に肥大化していくような気もする。

ここ数日は同じ話題について、いろんな問題を綴ってみた。書いてる自分まで、結局どういうことか混乱しているので、少し整理してみることにした。

ダブルスクールについて。選択肢は二つ。二年で通うか、三年で通うか。前者はこれからという大学の時期で、遊ぶ暇をなくすことになる。俺には色々やりたいことがあるのだ。一年で全てをやり終える事は出来ない。後者の場合、就職を捨てる事になる。大博打のような真似はできない。

大学卒業後について。卒業後に行くにしても、更なる金銭の負担を親にかけることになる。親は子供に頼られなくなると辛い。そのくらいちゃんと貯蓄しているから、甘えればいい。そうは言うけれど、大金を負担させることは、俺は吐き気のような邪悪を感じる。とにかく生理的にと言うか、なんと言うか、とにかく後悔、に似たような感じになる。リスクを冒してまでやりたい仕事か、と言われても、失敗したら、その反動は自分だけに留まらない。自分が全てその衝撃を受け止められるほどの土台がなければならない。築き上げなければならない。

そして俺には今の所、生き甲斐とするものが、

1、今年のピアノの発表会で、ある友達を中心に、誘う友達に感謝の気持ちをこめること。

2、来年のピアノの発表会で、遠く離れていく友達の好きなピアノの曲を弾き、本人にCDを届けて、この上ない感謝の気持ちを伝える。

3、俺の考えていた物語を書く事。そして願わくば文庫本になり、たくさんの人に読んでもらいたい。しかしやはり友達に楽しんでもらいたいのが、主な目的。

4、大学生活ででも、出来る限り高校の友達との付き合いをし、俺の生き甲斐を成就させ続ける。

この四つ。これが果たされたとき、俺は生き甲斐を失くす。そして生き甲斐を失くした人間は、生きていても、ただ生きていてもしょうがない。だから・・・。

最も望ましい条件。俺が大学卒業までに、大金を稼いでいる事。金額の詳細を尋ねられても、明確な金額をあげることできないが・・・。例え声優プロデビューに長年かかったとしても、なんとか生活できるはずだ。

他には、もしそれが出来なかった場合、催眠術師にでも頼んで、一切の声優の関心、憧れ、そしてその動機を封じこめてしまうこと。

あまりやりたくないのが、お嬢様との逆玉結婚。一番やりたくないが、可能性としてないわけではないので、一応あげておく。しかし利用するようなので、本当に少ない確立のお話・・・。

誰かの支えになること。本気で命を書けることが出来る、人、友達、あるいは恋人がいれば、全生涯その人にささげても構わない。一向に叶うはずのない願いを言うならば、今の高校の友達全員で、ずっと過ごす事・・・。大好きな親友も、大嫌いな奴も、一緒にいることでそれは成り立つ。一人も欠くことのないメンバーで、会社を興すようなことにでもなれば、それは毎日が楽しいことになるだろう・・・。

もう一つは・・・。自分ではできないかもしれないが、↑の全てに該当しない場合、卒業と同時に、他界する。誰かが殺してくれれば、文句はない。

本当に声優がやりたいのか。ゲーム、アニメで感動し、この感動をいろんな人に届けたいと思い、声優になりたいと思った。しかし、今はどうなのか?そんな綺麗なキャラばかりが廻ってくるとは限らない。それでも我慢してやっていけるのか?演技の楽しさが分かるようになるのか?

声優をやるにあたっての問題点。すぐにあがってしまうこと。演技はまったく経験したことがないと言うこと。歌を歌うために、カラオケにはほとんど足を運んだ事がないということ。というか、邦楽全般、(一部除く)はかっこいいとも思わなければ、むしろ全て終わっていると思う。とにかく全てだ。ゆずだの、キックザカンクルー(英語わかんねぇし・・・。)だの、グレイだの、全てださいとしか思えない。聞いているものといえば、洋楽、一部除く(っていうか邦楽の女性シンガーは、結構いい人いると思う。あの人、だの、癒しの歌姫だの・・・。)ゲームのサントラ(おたくじゃない範囲で聞いてます。)そして、自分の、熱しやすく、冷めやすい性格を考慮して・・・。

いつになったら、この日記の気持ちを表す絵文字が、普通以上になるのか・・・。そして、いつかまた、過去のつづってきたように、自分の今日一日の出来事を書いて、お気に入り登録している人の日記を見て、共に励ましていけるような、そんな日常がくればいいと、心底から渇望する・・・。
ギリギリを生きているのだろうか。自分で自分を追い詰めている。どこが楽しいのだろうか・・・。

人はいつ死ぬのだろう・・・。寿命で老衰し死ぬ。不運な事故で死ぬ。食べる物がなく、飢えて死ぬ。この世で死を迎える人は、おそらくは「死にたい」とは思わなかっただろう。まだまだ人生にやり残した事がある。まだ死を歓迎したくはなかった。

しかし、自殺をして死に逝く人は、どうしてそんな決意をしたのだろうか・・・。

生き甲斐を失くすことが、自殺へと考えを発展させているのだろうと思う。今を生きる人は様々な生き甲斐を持っている。長生きをしたい。家族を養うため。働く事が楽しいから。そういった生き甲斐を持って、人は生きている。しかし、俺の場合生き甲斐とは何だろう・・・。

高校在学中は、俺の持つ生き甲斐が大きくなっていった。友達の笑顔を見ることだった。友達のためなら、どんな労をも惜しまなかった。俺が犠牲になろうと、笑顔を見せて、誠意を込めて「ありがとう」と言ってくれればそれだけでよかった。しかし、それも今潰えようとしている。大学で高校在学中に出会った友達以上の友達は恐らく現れない。俺の生き甲斐は、高校の友達がいて、初めて成就されるものなのだ。

昔、俺はずっと大学に行く意味を考えていた。俺のやりたいことは声優だけだったのだ。それならば、大学に行かずに専門学校に行けば、大学の莫大な入学金や授業料は払う必要はない。しかし、親がそんなことは許してくれなかった。(いや、そんなことを言う勇気は俺にはなかった。)大学に行きながら、専門学校に行くダブルスクールにすればいいと思った。それを話してみれば、了承してくれた。

しかしこれは、一昨日の日記にも書いた事だが、親に莫大な負担がかかる。そしてその負担をかけてさえも、確実に声優になれるかは分からない。賭け・・・と言える。そんなことはできない。

もし、声優になるならば、自分で自分を養っていける財力。勿論親には何の手も借りずに・・・。大学でそれほどの資金を稼ぐ事が出来るだろうか・・・。それもまた、不可能な話だ。ならば大学卒業後にするか?それもまた、不可能だ。少なくとも5年程は、働かなくても余裕のある生活ができなければならない。そこまで稼ぐのに、どれだけの時間がかかる?

やはり諦めるしかないのか・・・。いや、実際は声優が本当にやりたかったのか?何に憧れたのだ俺は?

ゲームであり、アニメだ。感動したから、俺も自分で演じてみたかった。人に感動を与えたい。だが、簡単に大きな舞台にたてると思うのか?有名なゲームに俺の声がでるまで、どれだけの時間がかかるのか?

いや、それ以上に俺の性格上の問題だ。熱しやすく、冷めやすいタイプの俺が、声優は飽きない、ということがあてはまらない、という保証はない。

俺の恨む、自分を恨む。声優などに憧れを持つべきではなかった。もっと他のことに興味を持ちたかった。どこかに催眠術師はいないか?俺の声優への興味、羨望、憧れを持ったときの記憶を封じてくれ。そうすれば・・・

声優というのは、リスクが高い。なるまでの授業料が低い。苦労してオーディションに受かって、それがすぐには報われない。長年かかって、ようやく豊かな暮らしが可能となる。見返りが少なすぎるのだ。それもまた、俺の頭を悩ます問題でもある。

生き甲斐がないなら、生きていてもしょうがない。このまま行けば、俺は大学卒業と同時に、生き甲斐を失い、そして死ぬ。大学で生き甲斐ななくなれば、また別に話だが・・・。

俺の生き甲斐・・・。

1、今年のピアノの発表会で、ある友達を中心に、誘う友達に感謝の気持ちをこめること。

2、来年のピアノの発表会で、遠く離れていく友達の好きなピアノの曲を弾き、本人にCDを届けて、この上ない感謝の気持ちを伝える。

3、俺の考えていた物語を書く事。そして願わくば文庫本になり、たくさんの人に読んでもらいたい。しかしやはり友達に楽しんでもらいたいのが、主な目的。

4、大学生活ででも、出来る限り高校の友達との付き合いをし、俺の生き甲斐を成就させ続ける。

この4つが果たされて、社会に出れば、俺の生き甲斐はない。その先に望むものは・・・死だ。

なんだか数日同じ話題ですいません。

願い・・・。

2004年1月22日
得がたき友達と別れるまで、あと何度会える?

俺にとって、友達、いや親友というのは、俺が命をかけても守りたいものだ。親友のためなら、俺は命をかけられる。

俺の生き甲斐は、友達のために何かをすることだ。今は・・・だが。しかしその得がたき友達がいなくなろうとしている今、大学には俺の生き甲斐はあるのか・・・。

声優についての悩み、いや将来についての悩みだ。見つかればいい。恐らく大学での親友に対して何かをすることになるのだろう。しかし、更に大学が終ったらどうする?ただ会社に勤務して、働いて、給料をもらって、生活する。それ以外にないなら、生きていることに意味があるのか?

俺は誰とも付き合う気も、結婚する気も、まして子供を作ろうとする気もない。俺は自分の嫌いな部分を知っている。逆に言えば、あまり自分のよいところなど知らない。常に目に付くのは嫌な所。だから誰と付き合うにしても、相手は損するだけなのだ。一時的な安心だけ。帰ってくる反動がでかい。相手を考えれば、俺は誰とも付き合うことはしてはいけないのだ。

そして子供についてだが、俺の嫌な面が引き継がれることを考えれば、その子供は不幸だ。その嫌な面を持っている俺が不幸などだから・・・。成長して、小学校に通うようになったことを想像する。いじめられるのではないか・・・。とにかく、生まれて不幸を背負わせるくらいなら、生まないほうがいいのだ。

願うなら、大学4年終了時に、死ねればいい。俺の寿命はそれだけで充分だ。誰か、俺を殺してくれないか・・・?大学在学中に、悔いのない人生を送るようにするから、卒業と同時に殺してくれ・・・。

今日からちょうど二週間後に、いよいよ本試験が迫った。しかしセンター試験の現代文の結果を見た俺は、あまり勉強する気になどなれなかった。というかセンター試験があって、休日が潰れ、明らかに睡眠時間が足りていないのも一つの要因でもある。

現代文の勉強を始めたのは、今から三ヶ月前からだろうか?やり始めた時と、結果が変わっていない。実力がついていないのか・・・。自称「どの問題でも半分の男」になりました。

この上ない不安があった。いや迷いと言うべきか。将来の事を考えるのはまだ早いと言われた事もあるが、今から頭を抱えておかないといけない問題でもある。それは・・・

声優だ。将来やってみたい職業だ。子供も頃から、ゲームっ子、アニメっ子として育ってきた俺は、それらを通して感動を何度も味わった。特にゲームの影響は大きい。感動するストーリーのゲームをした時には、「俺も自分の声で、人に感動を与えたい。」

しかし、声優のことを調べていけばいくほど、現実は甘くないことを痛感する。まずはギャラが低いこと。

一回の仕事で、5千円いくかどうか、と一度聞いたことがある。これでは家族を養うどころか、自分の明日さえも保障されない金額だ。名が売れるまでの我慢なのだろうか・・・。

しかしゲームをしている度に想像する。ここに俺の声が入ったら・・・。考えただけでも、ワクワクする感覚。確かに声優の仕事は好きみたいだ。

しかし確実にプロデビューできるとは限らない。実力主義の世界に飛び込むことに、俺は激しい不安を感じる。

そして更に分からないこと。一体声優の仕事というのは、どういう風に廻ってくるのか?

最初は、ある会社が新しいゲームを発売するとしたら、自分がその会社に行き、オーディションを受け、そして採用されたら仕事がもらえると思っていた。しかし恐らく俺の予想は間違っている。声優のプロダクションのHPに行けば分かるのだが、そこから仕事の依頼などができるようになっている。ここからは推測になるが、恐らく、とある会社が新しいゲーム等を制作した後、その会社に対して、そこから何人か仕事と依頼したい、といったメールをする。そしてそのプロダクションが勝手に選ぶか、それとも、こんな仕事がきてるけど、やりたい人ー?みたいな感じで、意向を聞いて判断する。

確実にではないにしても、あながちまったく違うとも言い切れない自分の憶測。もしそうだった場合、当然重要になってくるのは、会社としての名前である。できたばかりの会社に所属したところで、大した仕事がくるとも思えない。しかし名のある会社に所属するには、必然と個々の高い能力が要求される。

自分には自信がない。たとえ専門学校に来る生徒が、演技などやったことのない人たちばかりだとしても、自分の能力が伸びるのかどうか、分からない。自分が演劇に向いているのかすら、分からない。そして生涯やっていけるような、俺の興味が薄れない仕事かも、また分からない。

大学に行く。これは俺の意志も含まれている。親が行け、というからイヤイヤ行くわけではない。大学で学びたいことはある。今は漠然と、パソコンとドイツ語、としか考えていないが、大学に通い始めてから、それ以上にやりたいことが見つかるかもしれない。もし俺が、声優になりたいと強く願うなら、恐らくダブルスクールでやることになる。しかしそうすると問題が多すぎるのだ。

例えばダブルスクールをした場合、当然専門学校の方は夜間に通う事になる。平均して、どの学校も週3回。それを二年。しかし確実にデビューできるとは限らない。会社のオーディションに落ちることだって充分あるのだ。

そしていつから通い始めるのか・・・。考えられる選択肢は二つ。

まずは大学3年から通い始めること。しかし問題がある。それは「確実に」オーディションに合格することが前提として現実に横たわっているのだ。そのまま声優の道を行くとすれば、大学4年目の就職活動はまったくしないのと同じことになる。いや、してもいいわけだが、声優と両立できる仕事など、あるのか?例えば俺の場合なら、パソコンを扱うような仕事を探し、そういった企業へ就職活動の矛先を向ける。しかし、普通はその会社に週5回ほど通勤するのだ。完全に声優との両立は不可能である。

そしてもう一つは、2年時に通い始める場合。この場合は、もし声優が失敗したところで、保険がきくのだ。声優が駄目なら、就職活動に専念ができる。非常に有効な手段に思えるが、俺が耐えられる自信がないのだ。一つ目の提案でもそうなのだが、俺は大学で学ぶ他にもやりたいことがある。バイト、テニス、物語制作。そして後に大きすぎるほどの意味あいを含むピアノ。そして当然遊び。その中に、週3回の夜間の専門学校通学が始まったとしたら、どうなるのだろう?俺の大学生活はほぼ遊び不可能な毎日を送ることになる。

自分の将来のために、それくらいは我慢しろ!と言われればそれまでかもしれないが、高校生活で頭を抱えてきた、自由な時間の少なさ、が大学に入っても継続されるのだ。俺と同じクラスの人にとって、どれほど苦痛か分かってもらえるだろう。それをまた大学4年間味わいたいとは、誰も思わないはずだ。

一度オーディションに落ちても、再度チャンスを掴むために、養成所でまた訓練する。それもまたいいかもしれないが、俺は親にこれ以上の負担をかけたいとは思わない。せいぜい大学での授業料。就職が決まった後の一人暮らしの準備金。安定した給料がもらえるまでの仕送り。これ以上親へ負担をかけることが、俺にとっては精神的に苦痛なのだ。

これは希望的観測だが、もし俺が書いた物語がベストセラーにでもなったら、大金が入ってくる。そうして多少仕事を休めるような環境になったら、声優をやってみてもいいかもしれない。もしくは、大金持ちの女性と結婚でもして、ほとんど働かなくてもいいような環境になった場合も・・・。(後者は女性を利用しているので、ほとんど考えたくはない選択肢である。)

俺はゲーム、もしくはアニメに自分の声を吹き込みたい。こんな考えを持って損をしたと思っている。そんな将来の仕事の選択肢を持つべきではなかったと、後悔の念に襲われている。大学で、声優以上に魅かれる仕事にであればいい。もしくは、催眠術師にでも合って、俺の記憶を一部消してほしいとも思う。

大学卒業後に、やるべきことをやりおわった後に、死ぬ運命ならいいと思う・・・。

あと何回会える?

2004年1月8日
今日から三学期が始まった。少しの間だけでも、友達の顔が見れないのが寂しい俺としては、今日をどれほど待ち望んだことか・・・。

しかしその期待の裏には、その期待を無残にも裏切るような事実がある。

あと会える日は少ない。

詳しく言えば、1月一杯までしか学校に行かなくていいということだ。だが逆を言えば、2月以降は友達には会えないということ。あぁ、なんということだ・・・。

今日は塾。先生と共に武蔵工の過去問題をやった。互いに競いあうような形だが、これが以外にいい結果をもたらしたのだ。

大きく分けて4つのパートに分かれていて、時間の都合上、3つしかできなかったのだが、なんと9割も取れたのだ。いやぁすげぇ。

でもこれは俺がどれほどまで現代文が安定していないのかを指す。はぁ・・・。安定感欲しい、マジで。

明日学校に行って、またすぐ休み。寂しいから、明日は友達と楽しんでこよう。
周りから言われる。

「お前勉強しなくていいのか?」

いいわけないですね。しなきゃいけないんですよ。でもね、周りから言われてやる気でると思いますか?さぁやろうって時に、何かグサ!っとくるようなこと言われて、その意欲が殺がれないなんてこと、ありますか?俺だって分かってます。俺が行きたいところは、英語と現代文。一浪してやっとそこに合格した、なんて嫌です。っていうかもう受験生嫌です。だからなんとしても、受からなければなりません。でも・・・

今日もセンター試験の問題。結果は・・・

150くらい・・・。

これからは独り言なので・・・。

「お前さ、あれほどよく読めって言ったろ?解答みて、『あぁ、そうだったなぁ・・・(ぽりぽり)』なんていつまでやってんだよ?いい加減集中しろっての!」

「だってよ、俺だって真剣にやってんだよ!けどよ、問題に出てるところを見逃しちまうんだよ。ここが問題に関係ある文ですよーなんて書いてないんだし、見落としの一つや二つ、あるに決まってんだろうが!」

「お前は、分からない問題とか、読めないとかないのに、どうしてこうもったいない落とし方するかなぁ・・・。」

「俺だって悩んでんだよ・・・。」

ふぅ・・・。更に追い討ちをかけるように、今度は現代文。練習問題2問やりました。

結果、どちらも半分。

昨日やった問題も半分。

というか過去の模試とか見ても、ほとんど半分。

俺の勉強したことは、結局意味成しているんでしょうか?成果でてないんですけど・・・。

明日から学校始まるし、友達に聞いてみようかな。悩み相談はやっぱりプロミ・・・じゃなくて友達です!

安定感なし?

2004年1月6日
みなさま、あけましておめでとうございます。(喪中の方はこの部分を飛ばしてお読みください)本年もよろしくお願いいたします。

って礼儀的なセリフはもういいとして・・・。

もう本試験まで一ヶ月を切りました。センター試験なんて、もう10日足らずでございます。でも、まぁあんましセンターは関係ないかな?現代文と英語はいいにしても、数学やってないし・・・。やろうとしても、すぐ詰まってやる気が下がる。言い訳かもしれないけど、数学って一番ストレスが溜まる科目だとは思いませんか?分からない問題に直面した。解答を見た。解答も何を言っているのか理解できない。

投げ出したくなるとは思いませんか?(同意を求めてんじゃねぇ・・・。)

しかしセンター試験の勉強だって、受験勉強の内。しっかし・・・得意の英語も安定しない点数だなぁ・・・。

一回目153。(注意力散漫になってたかな・・・。)

二回目165。(まだ警戒心が薄かったか・・・)

三回目135。(何やってんでしょうね、俺は・・・。)

そして今日の成績165。(結構集中したつもりなんだけどな・・・。)

はぁ・・・。本当、ちょっとショックですよ。簡単だと思ってても、点数が上がらないなんて。どうしてなんでしょうね。はぁ・・・鬱です。

現代文もそう。第一志望の現代文だって、一回目は訳5割。二回目は7割強。現代文は問題によりけり、ってなってるんだよなぁ・・・。本当安定して取れるようになりたいんですが・・・。

恐らく、見直しをしないことに多少の問題があると思われます。本番じゃないと、緊張感がでてこないから。それに、一回目の解答で既に満足しているのでしょう。これは間違っているはずがない、ってね。

いかんなぁ・・・。見直しするときは、やっぱり初心に帰って、もう一度新しくやるようにしなきゃだめなんだろうなぁ。努力します。

よいお年を・・・。

2003年12月31日
今年を振り返ってみる。

今年は受験生になった。とにかく定期テストにて評定平均値を落とさないように、必死に頑張り、4.4(だったっけな?)をキープ。Aランク確定。これで推薦への準備は万全だった。

推薦での入試が受けられると言う事で、一般試験への真剣さがなくなったと思う。某Y塾に行き始めて、破格の値段を払いながらもいった塾。ごめんなさい最初の一回で古文の授業は捨てました・・・。(だってさぁ、先生の態度っていうか、なんか口のクチャクチャ鳴らすクセがどうにも俺には生理的に耐えられなかった。)そして後はちゃんと55段階テストとかいうのには、頑張って出て行ったけど、日に日に科目数が減って、ついには夏期講習さえも取らなくなって、そして止めた。両親には本当に悪いことをしたと重いっている。本当にごめんなさい。

夏からは推薦の書類選考の準備をした。本当膨大な量をフット猿と一緒にこなしていった。一般試験向けの勉強もそれに時間を食われて(ってかやらなかっただけだと思うけど・・・。)あまりできなかった。

慶応大学環境情報学部。通称SFC。今考えてみれば、推薦入試の最高峰のところに、俺等凡人が受かることはあり得ないのだ。他の受験者と比べれば日を見るより明らか。だって海外でピアノコンテストで最優秀賞を取る人とかと争ったんですよ?そんなん不可能です。勝てません。ゴジラに蟻がケンカ売るようなもんです。

第一次推薦入試の結果が終わり、俺は自分のしたいことを考えた。一体俺は何の仕事がしたいのだろう?大学に行ってからでも、それを決めるのは遅くはないか?そういったことを危惧しながら、徐々に時間はなくなっていった。そこに飛び込んできたのは、俺のまずしたいことである仕事が声優であると知る、先生からの第二次推薦入試のお誘いだった。

横浜市立大学。国公立大学である。フット猿はそこを以前からずっと第一志望にしていた。そして俺の場合、声優以外にやりたい仕事がないということで、そこを受けてみてはどうか、というものであった。俺は国際文化学部、欧米文化学科を受験をすることにした。少なからずドイツには興味があった。

そして小論文の練習を重ね、事前に予行面接練習をし、準備は万全(とまではいかないだろうけど・・・)だった。そして当日・・・。

小論文はできたと思った。しかし面接でその自信も砕け散るほどであった。聞いてくる内容が濃すぎる。というよりツッコミが激しい。例えば・・・

「私はドイツで環境改善の技術を学び〜」
「ほう、それでは日本人がドイツの技術を学ぶためによく訪れる都市はどこですか?」

・・・

(・A・)ハァ?

結果、撃沈。まぁ当然でしょうね。でも以前から第一志望としていたフット猿は受かってよかったね。まぁそれが結果的に大きな差を生んだんだろうね。俺なんて別に本気で行きたいとは思ってなかったんだしね・・・。

友情関係でも大きなことはあった。俺は一人じゃないってこと。頼って、また頼られて、そんな関係がいつまでも続いていけばいいと思った。でもそれも来年で終わりか・・・。でも間違いなく言えることが一つある。中学、高校で得た友達以上の友達は、現れない。

来年はマジに勝負だ。もう落ちたじゃ許されない。頑張らなきゃー!来年は本当にいい年でありますように。そしてみんなが満面の笑みで卒業できますように・・・。

心の支え。

2003年12月19日
自暴自棄になっていた自分。それでも励ましてくれた友達。自分だけが矛盾しているわけじゃない。ただ自分はそれを深刻に受け止めすぎていただけなのだ。不完全だからこそ、人間。不完全が人間のシンボル。そして絶えず進化しようともがいているのが人間。

それでいいんじゃないか?そう友達から教わった。頭抱えて悩まなくてもいい。みんなそんなに強くないから・・・。

励ましてくれた友達にありがとう・・・。

そして・・・↓

昨日から37℃以上の熱が出たため、療養していこうと思います。でも勉強しなきゃっていうプレッシャーが背後から襲ってくる・・・。
矛盾。人間はそれによって成り立っている。だが、そう認識しても、決意したことさえもが、自分の中で薄れ、そして消えていくのが許せない。

俺は矛盾だらけの人間だ。推薦に落ちた後、友達に結果をメールで報告した。それはなぜか?誰かに慰めてほしかったから?自分のしてきたことを評価してもらいたかったから?それでも、メールを見ると、内心憤りが生まれる。同情の目。なぜだかそれが嫌いだ。結局自分の思うことなんて他人には100%理解してもらうことはないのに、それで同情されても・・・。と思う。だけど、俺はなぜメールを送った?やっぱり慰めてほしかったのだろう?それでなぜメールが帰ってきてそれに対して怒りを覚える?素直に喜べ。友達はお前を慰めてくれた。それでいいではないか?同情の目で見られようが構わないではないか?

俺は矛盾している。

分かっていた。彼は悪い人じゃない。たった一言で人を見る目が変わって、彼の悪い面をあら捜しするなんてしてはいけない。俺のためにいったのだ。自分が彼に対してどれだけのことをしたから、といってそれを返してほしいのか?俺は人の喜ぶ姿が見れればそれで充分なんじゃないのか?それでもどうして、冷たい態度を取られたら、俺は過去に彼にしたことを思い返して、その見返りを求める?

俺は矛盾している。

彼女を作らない。自分が嫌いだから、俺といれば不幸になる。俺の悪い面を知っているからこそ、俺は彼女の存在を否定する。だが、一体なぜ推薦で落ちた事で、ほとんど女がいない大学を目指して、へこんでいるのだ?俺には彼女なんていらないのだろう?ましてやロマンチックな出会いなんて期待することでもないだろう?それなのになぜ俺は残念そうにしている?結局は俺は隣で支えてくれる彼女がほしいのではないか?いや、確かにほしい。けれどそのために、俺の私利私欲のために彼女になる女性を不幸に陥れるわけにはいかない。それでもどうして俺は望む?

俺は矛盾している。

こんな矛盾だらけの俺だからこそ、俺と関わりあう人は不幸になるのではないか?それを友達に、終業式の日にみんなに言おうか?

「俺と関われば、不幸になる。もう俺に近づかないほうがいい。」

こういうことで、俺はまた同情、慰めの目を欲している。また矛盾している。それでも、矛盾していても、友達のためなら多少の矛盾は許されるのではないか?これも友達のため・・・・。

それでもやっぱり矛盾している俺は、

「そんなことはない」

と言ってくれる友達を求めている。ほら、矛盾してる。友達のためだから、と言っても、結局俺は他人の目をひきたいだけじゃないか?また矛盾してる。友達が欲しい・・・。それでもほしい。ほら・・・またこれも矛盾してる。

結局そう言おうが、この日記につづろうが、俺の行動は全て矛盾している。日記に書いて、他の人の読んでもらって、何を期待しているんだ?誰にも言わないことが一番の策じゃないのか?矛盾・・・俺は矛盾だらけだ・・・。

矛盾を抱えながら、今日も俺は生きている。いつか、滅びを迎える俺は、生きている。

何を書いても矛盾にしか到達しない。矛盾。矛盾・・・。これも矛盾。この日記全てが矛盾。俺の行動が全て矛盾。存在が矛盾。心境の変化だって矛盾。矛盾することも、矛盾。

俺は死に場所を探している・・・。

裏付け

2003年12月17日
確かに俺は落ちた。でもネガティブに考えていても仕方ないのだ。昨日友達に色んなことをぶちまけたら、なんだか心がスッキリした。行動もしないで、最初から諦めていてはいけない。まだ何が起きるか分からない。それに俺が何に対してもまだ大して知らないということもある。まだ声優の道も閉ざされたわけじゃない。ちゃんと調べていけば、きっと道は開けていくはずだから。

ポジティブに考えていこう。この場合はどう考えるべきか?

友達と一緒の境遇に立ち、共に苦しみあうことができる。一人浮かれているよりか、そっちの方が経験して大きなものとなる。大好きな友達と少しでも長く同じ立場にいられることの方が、幸せなんじゃないか・・・。

確かに俺は知識がない。高校から一歩でれば分からないことだらけだ。声優の専門学校とか、養成所とか、プロダクションとか違いが分からない。厳密に何が違うのか、まったく知らない。けれど、大学に行ってから、調べていけばいいんだ。何を悲観的になる必要があるのか?まだまだ俺はいける。思い悩んで落ち込んでどうする?

でもね・・・後悔するときだってある。後悔をむしろ試練だと置き換えて乗り越えて行って人間的に成長していけるようにすればいい。確かにそうは思うんだけど、そんな後悔の念が強くなったり、知識不足で落ち込んでしまったら、大好きな友達に少しだけでも、甘えていいかな?不安になったら、励ましてもらっていいかな?何よりも友達が俺の支えだから・・・。少しの間、まだ支えてもらってもいいかな?俺も力になるからさ、俺の力になってもらってもいいかな?少し木陰で休みたい時に、灼熱の日差しから守ってくれる大きな木に寄り添わせてもらってもいいかな?

俺は裏づけがほしいのかもしれない。何事をするにも、勝手な理由をつけてそれを正当化しているのかもしれない。

昨日微熱が出た。一ヶ月前からひき始めた風邪も、恐らく最高潮なのかもしれない。まだ体がだるいし、咳をすると体が悲鳴をあげてきしみだす。首も痛い。少し動かすだけで、抵抗を帯びる。そんな状況でも、俺はパソコンの前に立つ。矛盾してる。病人なら、寝ていろ。

眠れない。確かに英語は勉強したが、それ以上にやらなければならない現代文はやっていない。今日はパソコンの前に座っているか、炬燵で温まりながら読書にふけっているかのどちらかだった。勉強はできたかもしれない。だが、どうにもそっちに集中力が向かない。風邪のせいで体がだるいのは本当だ。だが、俺はそれのせいにして勉強を避けてはいないか?万全じゃない今の状況は、確かに勉強に向いてはいないだろう。けれで『できない』わけじゃない。風邪をひいているということで、それを理由、裏づけとして勉強を避けていないか?

どっちなのだ・・・どちらが正しいのか?パソコンの前に座っているなら、勉強もできるだろう。それでも勉強をしないのは、やはり裏づけとして、風邪をひっぱりだしているのでないか?結局ここでつづっていることも、誰かに『そんなことないよ』という慰め、同情をひこうとしてはいないか?こう考えれば汚い。俺は最も汚い。

だったら書かなければいいではないか。けれど、やっぱり悩みは聞いてほしい。人間は矛盾が前提となって構成されている生物なのだと、気がついた。
今日横浜市立大学推薦入学の結果発表があった。共に受けたフット猿と最寄の駅で待ち合わせをして、目的地へと向かった。1時から発表ということであったが、このままでは予定より早く着いてしまうということで、一駅離れたところから歩くことにした。

その前に、朝俺は起きた時、体に違和感を感じた。一ヶ月前から風邪をこじらせており、鼻声、咳が直らない状況だったのだが、今日の朝は何か体調がおかしい。立つと体がふらつき、軽い頭痛がする。更に尋常じゃないほどに鼻が詰まっていた。慌てて体温計を引っ張り出し、熱を測る。

『37.3』

微熱であった。↑のような症状がでるのも当然である。しかしなぜ今頃になって?

恐らく学校が今日から終業式に24日まで休みになったことが原因と考えられる。俺の中で、三ヵ年皆勤賞という緊張の糸が切れてしまったのだろう。それにより風邪がまた顔をだしてしまったのかもしれない。

そんな体のだるさを引きずり、ようやく目的地の大学へと到着する。既に発表を見た人もいて、満面の笑みを浮かべる人もいれば、この世の終わりのような顔をしている人もいた。掲示板の前では、サークルの勧誘、そこで胴上げする人、一心に自分の番号の所在を確認する人がいた。俺とフット猿はそこへと向かい、自らの番号の存在の確認へと向かった。

共に推薦入試が行われていた理学部や商学部の隣に国際文化学部があった。更にそこには俺が受けた欧米文化学科、フット猿が受けた国際関係学科、他にも人間科学科、日本アジア文化学科の四つが分けられて発表されていた。

俺の受験番号は3214、フット猿は3014。お互い似た番号であった。俺の目はすぐに321〜のところへと行った。3212・・・。その次は、3218だった。推薦二回目、以前のSFCに比べたらいくらか勝算があるところであったにも関わらず、再び落ちた。

フット猿は受かっていた。嫉妬、恨み、そんな念は俺にはどこにもなかった。とにかく心から、『おめでとう』と言える心境だった。

フット猿の入学手続き書をもらうために、とある校舎の一室に向かう。その間に、俺は友達に結果を報告した。みんな励ましてくれた。時間をおかずにすぐに返信してくれた人達。おそらくどんな言葉をかけていいのか悩んだだろう。それでも励ましてくれた友達には、感謝の気持ちで一杯である。

共に外へと出ると、サークルの勧誘が押し寄せてくる。一言こう言ってやった・・・。

『落ちましたよ・・・。』

そのまま一緒にケンタッキーで昼食を取り、そして待ち合わせをした駅で別れた。

フット猿がいなくなった後、涙が溢れそうになった。その時MDから流れていた曲の歌詞がなぜだか俺の胸を締め付けた。

なぜだろう? 落ちつかない
本当は自信がないのに
力に余るような事をしようとしてる
はてな?は、とりあえずね
駆け出す時の邪魔になる
後でね 後悔だけしたくないと思うから

こんなどうしょうもなく好きなこと
今まで感じたことないくらい
誰にも譲れないと思うなら つかむしかない

生意気なくらい 挫けなければ
手に入れたいものは 少しずつでも近付く
心の破片を見逃さないで
がんばる時には 思いきりがんばろうよ

泣いては負けなんだと 強がる自分も愛しい
こんなにくすみもなく 走る今が好きだから
たまには悩みくらい打ち明けて 優しい言葉にふらり揺れるけど
強がる性格は生まれつきと 笑ってみせる

強情なくらい 何かのために 素直になれたら 探してたものに会える
自分で見なくちゃ 信じられない 苦しい涙は 後から流せばいいよ

どうにも悩むこともあるけれど やらないよりはやって落ち込もう
この世に生まれ生きるこのときは一度しかない

心の破片を見逃さないで
がんばる時には 思いきりがんばろうよ
自分で見なくちゃ 信じられない 苦しい涙は 後から流せばいいよ

第一
確かに落ち着かない。後悔だけはしたくないと思い、俺は推薦をした。あれだけの小論文の練習、面接の受け答えの練習、たくさん積んできたものを無駄にしたくなかった。俺の背負うものを壊したくはなかった。

第二
他者に合格を譲るほどには俺は寛大じゃない。俺だって合格したい。誰にも譲れないなら、俺自身が掴まなければならない。

第三
挫けることはしなかった。面接でも、どんな質問が来ても、頭をフル回転させて応えた。確かに応えられなかったものもいくつかある。けれど、ずっと俺は笑顔を振りまいていたつもりだ。とにかく愛想のよさを印象ずけようと思ったから・・・。

第四
電車の中で泣きそうになった。それは後で説明したいと思う。

第五
人に結果を見てもらっても、それは信じられない。やはり自分で見なければいけない。やれるところまでやって、泣くのは一番最後でもいい。

第六
やらないで後悔するより、やって後悔するほうがいい。俺という人格は一人だけ。世界に一人だけなのだ。

同じクラスに、たくさん推薦で受かった人がいる。とにかくピンからキリまでで、高い人は本当に高い。だが、自分の方が絶対性格も、人間性も勝っている人さえも推薦で受かったのだ。だったら、俺だって受かる。

人のためにしてきたことは、俺は見返りを求めてはいけないと思う。俺は他人に何かをしてあげることに喜びを感じた。それを味わうことができるなら、別に何かをしてくれとは思わないようにしている。確かに例外もある。こっちがこれだけのことをしたのに、なぜそれを断るのか?さっきの考えと矛盾しているのは分かっているが、心の底では納得していないようだ。

人に対して優しくしていれば、その人から見返りはなくても、神様が俺に見返りをしてくれると思っていた。必ずそうなると信じていた。

だが神様は俺には何もしてくれなかった。俺の今までしてきたことは評価に値しないということか?俺の人生でしてきたことはなんだったのか?

その大学に落ちた事で、一層将来が不安になった。今受かっておけば、いろいろ準備期間が与えられる。さらに浪人という危険は回避できる。だが俺は英語と現代文でしか受験しないということで、相当入れる大学は絞られる。俺は将来声優をやりたい。だから演劇部に入りたかった。だが、一般で受けるところには、演劇部なんてない。声優はどうなるのか?俺の将来は?

心の中に、決して折れない槍のような信念を持っている人が羨ましい。目標に向かって横道にそれることなく走る人が羨ましい。

俺の興味は流動的。パソコンを学べる大学を目指していたが、その興味さえ今もまだあるのかと聞かれれば、『はい、あります』と答えるのは難しい。俺はADHDか?興味がすぐに他にものへと移り変わる俺には、決まった職業などあるのか?

矛盾、まだある。俺は↑のような性格だからこそ、彼女を作る気はない。自分が辛い立場にいるときには、隣で支えてくれる彼女がいたほうがいいと言われるが、だが、自分では人間失格としか思っていない、こんな遺伝子は後世に残すべきではないと判断し、彼女などは要らない。俺が一般で受けるところは男子が圧倒的に多いので、俺にはうってつけの場所かもしれない。けれど、なぜだろう・・・。そう思うことが無性にいらつくのはなぜだろう?俺は相手を不幸にしてまで、彼女が欲しいのか?だめだ。俺なんかと付き合ったら不幸になる。けれど・・・この心の矛盾は何だろう・・・。

嫌いな一面。

2003年12月8日
何かと興味を持つと、やりすぎ、と周りから言われるほどにのめり込むが、飽きると、もう部屋の隅でほこりをかぶったおもちゃのように、捨ててしまう。こんな性格・・・嫌いだ。こんなことでは結局一つの仕事に定着していけるのだろうか?

以前、俺はシナリオライターになりたいと言った。だが、あれは段々と俺の頭の中では薄れていった。なぜか?

ゲームにしても、マンガにしても、中心にいるのはシナリオライターだと思っている。だが、ゲームを制作すると、それの他のグッズ、アニメ化されたときなど、全てその会社に持っていかれる。それが俺は不満でたまらない。だったら・・・

いっそのこと作家になってみようか?趣味の範囲で物語を作って、やってみてはどうか?実際シナリオライターになる用に、学校の友達に作った物語を見せている。まだまだ未熟かもしれないが、どんどんとこの力は伸びると思う。そして、どこぞの漫画家と組んでやっていけたら・・・と思う。

だが、結局金を稼ごうが、俺は誰とも付き合おうとは思わない。まして自分の子供を作ろうなど、もってのほかである。自分の嫌いな面を一番知っている自分。そんな腐った俺の遺伝子など、後世に残すものではないと判断したからだ。結局俺の血を受け継いだ子供など、不幸になるに決まっている。だから・・・俺は一生独身でいい。それでいい。たとえ孤独で寂しい思いをしようが、俺一人が我慢すればそれで解決する。余計な欲望は持つべきではない。俺は一人で生き、ひっそり一人で死ぬ。それでいいのだ。

話は変わるが、来週の明日、第二次推薦入試の結果が発表される。小論文と面接だったのだが、面接でのいじめられ方が半端ではなかった。だから、はっきり言って自信がない。色々大学に行く前にも準備をしておきたいことがあるが、推薦でいけないと、少々辛い。なんとか・・・いけないだろうか・・・。
これ以降書くことは、私の本性を暴露することとなりますので、見たくなければ見ないほうがいいと思います。とりあえず、みなさんの像が少なからず壊れることは避けられないと思います。

死にたい。時々思う。もう死にたい。それは弱気になった時に自然と思われる。

自分に自信がないからであろう。大学も、その先の就職も、そしてその後の人生も。

とにかく長々とは生きていたくはない。さっさと50歳くらいでこの世からいなくなってしまいたい。

まずは俺について語ろう。

俺は将来は結婚するつもりもない。当然お付き合うということもしたくない。だから、女の人の体が目当てとか、そんなことはない・・・はずなのだ。結局Hをしようが、結果は同じ。性欲を満たすことなのであり、Hすることは結局自慰行為と同じなのだ。

だが、俺の内心の矛盾は何だろう?

俺は塾に通い始めた。個人塾で、現代文を取っている。そして1:2で授業をやっていくのだが、前もって電話したときに、俺の先生も、そしてもう一人の生徒も女性であることが分かった。

それが分かって、俺は考えた。「先生が、もう一人の生徒がどんな顔をしてようが、かわいかろうが、ブスであろうが、俺は付き合うこともしなければ結婚もしない。」

だが、通い始めた最初の日、俺の心は普通とは違っていた。結局そうは思っていても、心のどこかでは期待をしていた。なぜだ・・・俺には関係のないことなのだ。なのになぜ!!

自分の考えが矛盾しているのか・・・。

そしてなぜ結婚しないのか?それは将来やりたい仕事である。

一つは声優だ。子供のころからアニメっ子でゲームっ子だった俺は、ずっと声優に憧れていた。いつか俺もこんな形で感動を与えられたら・・・。

もう一つ・・・それは・・・シナリオライターである。だが、どんなゲームを作るのか?それが問題だ。

俺は・・・18禁ゲームをよくやる。ここで誤解しないでほしいのが、俺がそういうタイプの人間とは少し違うということだ。

俺はそういうゲームはリアルな読書だと思っている。この上ない感動を与えてくれた。もちろん中には、そういうタイプのもやった。けれども全てが全てそういうわけじゃない。ただ、そういうシーンがあるだけだ。普通のゲームは、本来ならそういうシーンはあったものが、省かれているだけなのだ。

だから、俺も今、物語を書いている。ただの物語だが、後にはゲーム化されてほしい。もちろんそういう形で、だ。だが、俺は好きだからそういうシーンの物語を書くわけではない。それでもまた、人々に感動を与えたいのだ。

長くなったが、将来が不安だ。もうすぐ第二の推薦入試が始まる。だが、俺はあまり行きたくはない。ただ、国立だから、これからダブルスクールるになるから少しでも親の負担を減らすためなのだ。一般入試で行きたいところが、一番行きたい。興味あるパソコンをいじれるのだから・・・。

こういう考えも親に反しているのか・・・。俺はだめな子供だ。それもまた死にたい理由に入るのか・・・。

自立

2003年11月1日
体がおかしい。背中の痛みは今に始まったことではないが、今度は腰がおかしくなった。そして今、風邪かは知らないが、咳がでる。風邪の症状とは違う、何か、体内で異常が起きているような咳がでる。

いつまで親の稼ぐお金で食っていくのだろう。塾に行き、夏で止めて、そしてまたどこぞの個人塾へ。最初の塾はかなり授業料を取られた。それに日常生活の中で、ちょくちょくお金がとんでいるのだろう。

だから・・・俺のやりたい仕事は大学関係ないから、授業力が安い、入学金が安いところにしよう。

早く、親に迷惑をかけないように、生きて生きたい・・・。

とにかく・・・。

2003年10月21日
今はやるべきことをやろう。多分もう推薦は受けないけれど、一般で頑張ろう。そうしよう。英語頑張ろう。

俺達って・・・。

2003年10月17日
友達から送られてきたURLに飛ぶと、そこにはSFCのAOについての書き込みがある掲示板があった。読んでみると、

ここのAOを受けるやつは「志願者評価書」というのが何よりも重要。

国会議員や県会議員に書いてもらうのが普通。

去年小泉首相に書いてもらったやつが一発で受かったよ(実話)

いくら払ったかしらないけどね

だそうだ。普通に担任に頼んだ俺とフット猿は論外だったのだ。

はぁー・・・。次の文学部は大丈夫なんだろうか。

更に唖然としたことがある。文学部の志願者数を見てみると、女子は250人くらい志願して、100人くらい受かっている。だが!!!!!

男子の数は、50人くらい志願して、11人しかいない。なんだこれは!というかこの男子と女子の割合はなんだのだ?

だめかもしれない・・・。
今度から、この日記を書くときに、小論文を書いているような心境で書いていこうと思う。

実は、今度は、文学部を受けてみようか、と思っている。そこに、情報学科というものがあり、少なからずパソコンを学ぶことができると思ったからだ。確かに環境情報学部よりかは劣るかもしれないが、詳しい情報は親父に聞いてもらおう。

今日のテニスはでるべきではなかったかもしれない。左足の捻挫から丸一週間経つのだが、完治したわけではないし、一週間前のフット猿の引退試合の観戦の時に風邪をこじらせたのだが、それも完治していなかったため、今日のテニスはかなり辛かった。気温があまり高くなかったから、あまり汗をかかないと予想していたが、風邪のせいで、どんどん体が熱くなり、汗ががんがんでてきた。

後半になると、左足の痛みが再発し始めた。歩けなくなるほどでもないが、多少気になるので、満足にプレイできなかった。

明日は模試だが、あまり気が乗らない。昨日のショックも少なからずあるし、ゆっくり体を休めたい・・・。


学校で、しきりに速達が届いているのかどうか、親にメールをした。そしてとうとうお昼休みの時、「もう速達来てるよ。グッドラック!」と親父からのメール。いよいよ体が震えてくる。5時間目の数学なんて、右手が震え上がっちゃって、普通に書くことさえままならない状況。でも、俺は昨日学んだ。人の本当の強さは、人がもう追い込まれた状態で、何ができるのか、だ。だから、いつ何時でも、周りを見渡せるくらいの冷静さは持っておかなければならない。なんとか周りに心配をかけないように授業を受けた。

そして終了を告げるチャイムがなる。体が言っている。「帰りたくない・・・」結果を見るのが怖かった。でも現実に目を向けよう。たとえ結果がどうであれ・・・。

家に着いた。玄関に一通の速達があった。「慶應義塾大学 環境情報学部 総合政策学部」通称SFCと言われるところで、AO入試の難関校だ。それを手にして、受験番号の書かれた紙を持って、リビングへ行った。兄貴がRED HOT CHIRI PEPPERSのPVを見ていた。その横で、ゆっくりと紙を開けた。のりがかなり頑丈に貼られていて、なかなかはがれない。少しずつ、ピリピリと音たてながら、まるでパンドラの箱でも開けるような心境で、慎重に開けた。そこには受験番号の羅列があった。俺の番号は9J0097。紙の左側には総合政策の合格者の番号。右には、俺が志願した、環境情報の合格者の番号。総合政策の志願者の受験番号は始まりが8、環境情報のそれは9。右に目を向ける。右上には9J008〜。そこが目に入る。そのすぐ下だ。下を見る。9J0095。

いったんそこで目をあげた。書いてあるとすれば次の番号くらいにあるはずだ。意を決して、俺は紙に眼をやった。その次に書かれていた番号は・・・9J0098。

納得がいかなかった。もう一度目をやる。9J0098。その前には9J0095。2,3回見直すと、実感として「落ちた」ということが認識できた。その番号の間に、俺がいない。落ちたのだ。落ちた・・・。落ちてしまった。あの夏の苦労は、水泡に帰した。

考えてみれば、中学受験、高校受験と何の苦労もせずに受かった。中学受験は、ただ兄貴がその学校にいるから受けてみよう、と思っただけで、たったの2,3ヶ月勉強しただけで受かってしまった。高校受験は、中学、高校と一貫していたので、クラス編成テストを受けるだけ。それで学校トップの特進クラスに進むことが出来た。

初めて、「落ちる」ということを経験した。一筋の希望が、消えた。

一応、心配してくれた友達に結果を報告した。そこで、俺が絶望の淵に見たものがあった。

本気で心配してくれる友達。ただ、「ドンマイ!」とかそれだけじゃなくて、ちゃんと俺の心情を理解してくれて、その中で最もよい言葉を選んで、励ましてくれる。人事でも、共に苦を分かってくれた。

得られたものは少ないかもしれない。でも、俺が気が付いていない部分に気が付いた。

無駄じゃなかった。夏休みに頑張ったことは、決して水泡に帰したわけじゃなかった。そして分かった。この世には無駄なことなんてないんだ。

落ち込んでいるわけにはいかない。そう、いつも思っていることがある。後悔はしない、むしろそれをチャンスとして生かせばいい。そうだ。友達と一緒に、勉強ができる。一緒の境遇に少しでも、長くいられる。それだけで、俺は十分だ。

足を止めていられない。人の足を停めるのは、「絶望」ではなく「諦め」。人の足を進めるのは「希望」ではなく「意志」。今「絶望」の淵からでることを「諦め」てしまってはいけない。行こう!「希望」を探そうとする「意志」で前進していこう。

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