願い。

2004年4月6日
辛い事があった時、あなただったらどうやって乗り越えて行きますか?それは人それぞれ。酒を飲むのも、スポーツをするのも人それぞれ。

俺の場合は、やはり相談する。もちろん友達に。

しかし友達といっても、なりたての友達にはそんな深刻な悩みなど話せるわけはない。そう、今までずっと付き合ってきた友達。高校時代の・・・友達。

学校に行けば、友人はいる。椅子に座り、朝の英単語の勉強をしたり、寝ていたり、友達とはなしていたり。いろんな人がいる。そして担任が教室に入ってくると、テストを開始して、回収して、次回のテストの範囲を聞いて、そしてHRをやって、休み時間。

もうそんな朝は戻ってこない。あの日の朝は一生戻らない。あたりまえだと思っていた日常。あたりまえだと思っていた友達の存在。それが・・・もう今はない。

願っても、絶対に戻ってこない高校時代。俺はそれが嫌だった。ずっと高校時代が続けばよかった。成長なんかしたくなかった。ずっと勉強漬けの毎日でもいい。朝早くから夕方まで授業があったっていい。友達と、たくさんの友達と一緒に過ごせるのなら。

優しさの裏返せば憎しみ。それと同じで、出会いを裏返せば別れ。どうして別れは辛いのか。

それは、ずっと当たり前と思ってきた日常が、もう戻ってこないものになるから。当たり前のことこそが、最高の幸せであり、安らぎ。大半の人はそれに気づかずに、別れを迎え、涙する。

みんなの存在がどれだけ俺に安心感をもたらしていたのだろう。このごろよく思う。あの頃のことを・・・。

3年15組、俺の最高の誇りだ。確かに嫌いな奴だっていた。表面上は付き合っていたけれど、内心は嫌いで付き合っていた人もいた。大好きで、ずっと話していた友達もいた。それらをすべて含めめて、「友達」なのだ。友達こそが、俺の宝。自分の命を賭けても守りたいもの。

今は離れ離れ。みんなが一緒に合う日はもうないかもしれない。

そして今日、辛いことがあった。そして、俺は性格上、それを一日中グダグダと悩む。いつもなら、翌日の学校でそれを友達に話す。俺の意見に同意する者。自分の意見を述べる者。そんな友人がいることが幸せ。痛み分け、としてくれるから。いや、痛みわけではなく、俺が抱え込んだ痛みを半分抱えて、無害なものにして、排除してくれる。俺の辛さはそうやって減らしてきた。

しかし、今はどうだろう。確かに大学には同じ高校であった友達もいる。しかし、腹を割って話す友達か?といわれれば、怪しい。違う。俺が話したい友達は・・・俺が思う親友は・・・。

そして、俺はメッセンジャーをつけた。友達が・・・いた。そして話した。

彼は聞いてくれた。そして自分の意見を言ってくれて、すこし気が楽になった。ありがとう・・・T・S君。

そして都合上電話することになった友達にも話した。彼はちゃんと聞いてくれて、俺に同情してくれた。それが、どれだけ俺の辛さを減らしてくれたことか・・・。ありがとう・・・I・N君。

そんな日常が・・・当たり前だった日常は帰ってこない。俺の願いは・・・そんな日常をもう一度取り戻すこと。それで・・・それだけでいい。絶対叶うはずのない願い。けれど、俺がずっと願い続ける・・・無駄な願い・・・。

28個のありがとう。

2004年3月23日
Y・W君。

一言で言えない君の本性。好かれる奴には本当に好かれるし、嫌われる奴には本当に嫌われる君。俺は前者。からかわれたり、からかったり、そんな日常が好きだった。学校に行けば、とりあえず君の馬鹿みたいな話が聞けるから。

中2頃か。確かS・Y君が陸上部に入部しようとしていた時、親友の君もついでに入部してきた。その頃はまったく知らなかったし、どんな奴かも知らなかったけれど、とにかく君、長距離早い。何ですかあれ?俺等から見たら、君の速さはやばかった。

練習では、縄跳びの二重飛び200回の時は、いつもどっちが早く
終わるか、競り合っていた。いつも僅差で俺の勝利だったけど。

そんなこんなで一緒のクラスになったり、ならなかったり。中3の頃の名言はこれだったね。

「哀歌さん、知ってる?」

「何が?」

「何が?」

・・・。はっきり言って意味不明です。なぜだか聞かれる本人が「何が?」と言った場合、聞かれた本人の負け。なんで?というか何?この身体振りが君に定着した。

そして君の名言は続く。いや、伝説と言っても過言ではない。それは海外研修の時だ。

ホテルにて、一緒の部屋になった俺と君。腹が痛いとのことで便所に直行した君は、なんと1時間もトイレからでてこなかった。そして出てきたときにどうだったか聞いてみると、

「出なかった・・・。」

はぁ?一時間ふんばって、出なかったんですか?

ある日オーストラリアのパイナップル園に行ったとき、俺等はホストファミリーに、パイナップルのおみやげを買った。帰りのバスの中、友達の一人が君をはめようとして、

「パイナップルって、日本では普通葉っぱ、全部抜かれてるのもあるよね。あぁすると美味しくなるんだぜ。」

普通なら、誰も引っ掛からないこんな冗談、君は思い切り真に受けていた。そしてパイナップルの葉を最後に抜いた奴の負け、ということでゲームをすることになった。・・・もちろん君のパイナップルで。

半分くらい抜いた後、どうやら君は異変に気がついた様子。

「なぁ、こんなの売ってなくない?」

だが、時既に遅し。

「売ってるって。」

そう言いくるめられて、ゲームは中断されることなく、続行!結局葉っぱは全部抜かれて、君はそのままホストファミリーにあげたそうだねw家族の顔がちょっとおかしかったらしいじゃんw今も葉っぱが全部抜かれたパイナップルは記念に写真を取って保存されてるからw

高校に上がり、君の身体振りは更に高みへと・・・。

からかった後は。大概君はロッカーへと行き、からかった奴の荷物をゴミ箱に捨てるというのが流行った。まぁ周りから見れば、捨てられる中にゴミをすてられるはずもなく、いい迷惑だったらしいけど。

からかって、更にからかわれた後、それは「チャラ」になるという法則も生まれた。その後、チャラは俺らのクラスの中で流行を掴んだ。

もうとにかく名言をあげていけばキリがないけれど、この辺でやめておこう。だって第三者に言っても、恐らく理解してもらえないだろうから。

とにかく、君との馬鹿話はおもしろい。自習室での訳の分からない行動とか、本当思い出すだけで笑ってしまうくらいだ。

英単語の能力、いや、それだけじゃない。理系の分野ならかなりできるはずなのに、君は薬学系の大学に落ちてしまった。誠に遺憾なことである。どうして君が落ちるのだ・・・。

教師の質。特に数学と化学(特に化学!)が悪かったんだろうな。数学は、1・A、2・Bの基本事項、基礎固めができていなかったな。ありゃひどい。大○とONOの質はかなり悪かっただろうな。教科書通りしかやってねぇ野郎だし、参考書持ってきて見せても、「解答は?」と解答書を求める始末。マジ最悪。教師なら自力で出来る力は持ってねぇのかよ!

高3になって、数学の救世主、S先生の登場により、高校時代の数学全滅、ということだけは免れたけど、それでも大学受験までには間に合わなかったのかもしれないね。もう少し、教師が改善されていれば・・・。

もう化学の教師なんて、やめた方がいいな。というかもう一回やり直して来い!お前は何だ!俺等の間では、「卒業したら、一回あいつは半殺しにするか!」という計画まで立ち上がった始末。言って置くが、誰一人として、あんたを「分かりやすい」とは言っていない!帰れ!マジでやめてくれ。あんたの授業を受けていた俺等の身にもなってくれ!どうして高校在学中に全範囲が終わらないんだ!教師として、失格!

その苦難の中で、君は頑張ったのに、落ちてしまったね。協力できることは少ないけれど、まぁ何かあれば、遠慮なく電話してこい!協力できる範囲なら、協力するからさ。

そして君のおかげで本当に中学、高校生活は楽しかった。本当に

ありがとう・・・。

還る時。

2004年3月14日
一昨日、昨日と、母方の祖母の通夜、告別式だった。

亡くなったのが確か9日の午前3時くらい。一度前日昼に顔を出したが、目を開けることはなかった。

俺はあまり祖母に対して、これと言って特別な感情を持っているわけでもない。大好きでもないし、嫌いでもない。俺の家に同居しているわけでもないから当たり前なのかもしれない。

といって新年の挨拶に親戚の家を廻るときでも、別に話したいことがあるわけでもないし、あげるものもない。話しかけられれば話すだけ。こちらから話しかけるなど、本当に・・・ない。

だから、俺は祖母が亡くなっても大して悲しい、といった感情は湧き出てこなかった。頻繁に見舞いに行ったわけでもない。ただ、この地上から一人、人間の命が天に召されただけ。そう思っていた。

亡くなる直前、卒業旅行にハワイに行っていた兄貴が、ギリギリのところで病院に駆けつけた。お土産を祖母の手に渡すと、祖母は昏睡状態にもかかわらず、おみやげをぎゅっと握り締めていたそうだ。

そして通夜の日。昼は友達と卒業旅行について話し合い。それから俺は途中で抜けたわけだが、最後まで遊んでいたかった。そう、つまり・・・通夜なんてだるかった。面倒だった。

夜に斎場に到着し、祖母の顔を見た。入れ歯が入っていない口は開けられ、頬は薄いピンク色に化粧が施されていた。眼は閉じている。魂のない抜け殻。死体なんてそんなものだと思った。

程なくしてお経が始まり、親族である俺はじっと椅子に座っている。その間祖母の思い出など脳裏によぎることもなく、ただ思っていたことは、「だるい、早く帰りたい。」それだけだった。

その後は軽く食事をして、家に着く。そのままやりたかったピアノの練習をした。通夜がなければ、もっと練習できたのに・・・。そんなことを考えていた。

通夜の翌日、つまり昨日は告別式、昼には斎場に到着し、一昨日の繰り返しのようにお経が始まる。俺の心境は一昨日と同じだった。お経が終わると、祖母との最後の対面。花を添え、顔を見る。

泣き出す母、そして兄。同じく涙をこらえる親戚一同。だが、そんな中、俺だけは涙をこらえるわけでもなく、浮いていた。祖母の遺体に花を添えた時でも、思ったことは、死臭が臭いとか、早く帰りたい等。

そして親戚から告別式に来てくれた人達に言葉が送られる中、母は俺の背中に顔を押し付けてないたり、袖を掴んで泣いていた。

はっきり言って邪魔だった。うざったかった。振り払いたい気分だった。

どうしてだろう。俺だけが、みんなと同じ心境だったに違いない。親族が死んでも、悲しむことはなく、だるさだけが俺を包む。そんな俺は・・・一体何様のつもりなのだろう。祖母がいなければ母がいず、そして母がいなければ俺はいなかったのに、祖母には何の感情も浮かばない。ただ、死んだ、という結果だけが頭に入っているだけ。

そして、俺は女の人の泣くところで、ああいう風に思うのだろうか。邪魔、目障り、うざい、泣くな。感情なしか俺は。確かにその泣いているのが母だったから、というのもあるだろうが、愛する人が泣いているなら、胸くらい貸すことはしてあげるのは当然だろう。それが俺にはできるのか?俺は・・・心底は優しくもない男なのだろうか。

俺が涙するのは、人が死ぬ時には流れない。感動する物語を読んでも泣かない。ただ、自分の無力さには、過去に流した事がある。兄貴にいじめられて泣いた事。何かを言われて、反論できない自分が情けなくて泣いた事。ピアノの発表会が近づく中、何度練習しても弾けなくて泣いたこと。そして、ピアノの先生の前でも、弾けなくて泣いた。

俺は他人のために流す涙はないのか?俺の体にはそんな涙など作られていないのか?俺は・・・結局自分のことだけしか考えていないのだろうか。

俺というものが分からない。自分が一番分からないのは、自分のことなのではないだろうか・・・。
今日、約6年ぶりに小学校の友人と再会することになった。目的としては、大学受験終了という頃合を見計らっての同窓会である。

夕方5時に集合、と言われても遅刻する人多数。あのねぇ、待ち合わせ時間の10分前に来るのはマナーですよ。そんな根性ではいけません。

大体が集まった後、お好み焼き&もんじゃ焼きの店に到着。そこで俺は初めてもんじゃ焼きを食べた。

そう、作ったことがない俺は初めてもんじゃ焼きの難しさを知った。

手順一、野菜、肉等をまず鉄板に乗せ、程よくほぐすようにヘラで潰す。その際焼き加減を判断しなければ焦げるのは必至である。

手順二、炒めた野菜等を丸いドーナツ状に集め、もんじゃの命とも言える「汁(?)」をその中に注ぐ。

手順三、そしてドロっとしてきたら周りの具をかき混ぜていただく。

一見簡単そうに見えるこの手順、舐めてかかった俺等が馬鹿だった。

そう、手順二、これは偉い作業だ。もう周りの野菜から汁が溢れる溢れる。何度やっても溢れる汁を元に戻すのは大変でした。だから性格なもんじゃの味なんて分かりません。間違ったもんじゃの味を覚えてしまったような・・・。終わってみれば俺等の鉄板がやたら汚い。そして残骸多すぎ。もう行きたくありません・・・ハイ。

それから二次会へ。そっからチューハイの飲み会がスタート!もう割り勘をいいことに最初から飛ばして飲みまくる。ペースを速めないようにから揚げを混ぜながら、ガンガン飲む。

そろそろ三次会行こうと思うんで・・・。

はい?今?何、次がラストオーダー?

ざけんな!まだ全然酔ってないぞ!グラス6杯のチューハイで酔えるか!なんだ一杯で堕ちた奴らは!弱い、弱すぎるぞ!

とにかく酔いが回りに廻った奴らの酔いを醒ますために、川原で夜風に当たる事にした。しっかし・・・寒い。二枚は無理だったwごめんよ・・・死ぬw

というわけで三次会のカラオケへ・・・。

ん?カラオケ?

そう、俺はカラオケが嫌いだ。大嫌いだ。この世で一番、とまではいかないにしても、相当嫌いだ。

まず歌えない。というか声がでない。音程が恐らく合っていない。(自分では確認できないけれども・・・。)そして今流行りの曲など全然知らない。

EXILE?CHEMISTRY?175R?Dragon Ash?誰・・・それ?

まぁサビ聞けば大体分かりますよ。だけどね、彼らの曲なんてまともに一回も全部聞いた事なんてありません。だって、興味ないし、格好いいとも思わないし。根っから洋楽とか、アイ・・・ゲホ!ゴホ!しか聞いてない俺は、そんな流行の邦楽なんて知りません。知っているとしたら、今は亡き黒夢か、大してメジャーじゃないSADSかしか聞いてませんから。

そんなこんなでカラオケスタート。俺は隅に陣取り様子を伺うことにした。

順々に歌う友人達。そして終わる度に湧き上がる拍手。歌う途中に聞こえる、「○○って歌上手いねぇ・・・。」という会話。

確かにみんな上手い。知ってる曲、すくないけど本当に上手い。こいつ、こんな歌声出せるんだ!とか驚いたのは数知れず。

そしてたびたび起こる、俺に歌えという催促。

しかし何を歌えというのか?誰も知らない曲(黒夢、SADS)など歌って周りの空気が冷えるのは目に見えている。そして俺が歌う時のは生じるはずのないセリフ・・・。「哀歌って歌上手いよね」等と誰もささやかないであろう。だから歌えない。恥ずかしくて歌えない。

俺は音楽を聞いて、歌おうとは思わない。よく口ずさむ人がいるけれど、そんな事をしようとは思わない。理由は、そんな音程が出せないから。いや出せるのかもしれないが、外した時に恥ずかしいから。誰もいなくても、恥ずかしいから。歌えない・・・。

涙が出そうになった。今時の歌をあまり知らない自分。それでいて、別に知ろうともしない自分。恥ずかしがる自分。全て嫌いだ。

将来が不安なのだ。例えば大学にて、飲み会などの次にカラオケというのは定石であろう、その流れにおいて、一人反発をしようとしている自分。例えその場にいるだけでも、歌わなければ全員の心証は下がる。少なからず、本気で俺が嫌がった場合、ノリが悪い奴、と思われるのは避けられないだろう。

そして、これは単なる妄想かもしれないが、彼女ができて、カラオケ等に行った場合、俺は当然歌わない。しかしそれで満足してくれる彼女等、いないだろう。

それが悩みなのだ。そしてそれを改善する気もない自分が嫌なのだ。どうしたらいいのか、悩んでいる。

誰もが言う。「俺も、私も下手だよ」冗談がよせ。謙遜するな。何が下手だ。十分歌えているじゃないか。音程だった正しい高さではないか。それができない俺を俗に「下手」というのだ。

だから・・・俺は本当にわがままかもしれないが、自分の事をちゃんと理解してくれて、そしてそんな俺を心から受け入れてくれるような彼女がほしい。側で休ませてくれるような、いつも微笑んで俺の状態、心境を理解してくれて、「大丈夫だよ」と、励ましてくれるような彼女がほしい。

本当に我がままだ。俺は我がまま野郎のクズ野郎だ。けれど、それだけは・・・譲らない。そしてそんな人がいないなら、俺は妥協して他の女性と付き合うのではなく、一生一人で全てを抱えて生きて行く・・・。そして滅び、消えていく。

28個のありがとう。

2004年3月11日
S・H君。

中学校の頃はまったく知らない人だった。噂で聞いた事だけならば、その当時俺がはまっていた「ジョジョが上手い」ということだけ。そしてそれを試す絶好の機会があの時、中3の修学旅行で行った、金沢での二日目のホテルの自由時間だった。

その時、俺等の間で大人気を博していたジョジョは俺等で当然制圧していた。俺はもろともせず乱入者を片っ端から片付けていった。(ってか一人しか入ってこなかったし、しかも受身の取り方を知らなかったから、パーフェクトで俺に打ちのめされていたけどね・・・。)そして君が乱入してきた・・・。

勝負は・・・俺の勝利だった。それでも君は弱くない。後に君はいろんなゲームに精通していることを知る事になるのだが。

というか俺は格闘ゲームには自信がある。ストリートファイター時代から兄貴の対戦相手を務めていたから自然と強くなっていった。しかし俺にはどうしても慣れない、例外の格闘ゲームが存在する。

それは今人気となっているゲームだ。例えば空中でごたごたをするゲームだの、わけの分からないルールがあるものは俺は弱い。というかやる気にならない。俺はシンプルを好む。そしてチェーンコンボがあるゲームなら俺はほとんど負けない程の自信がある。(ってかヴァンパイアハンターとか・・・だけどね。)

そう、ゲームを通じて君と知り合った。そしてどれくらいゲームをやっているのかは、また同じく後に詳しく知るようになる。

高校に入って、一緒のクラスになったけれども、すぐに君と打ち解けあうようにはならなかった。確か携帯に壁紙を送るのがどうのこうので話した限り・・・。

どうやって仲良くなったのか・・・。恐らくMSNのホットメールを入れてからだろう。O氏とS氏の他に君を登録して、それからよくチャットをするようになった。それからだろう。俺が段々とパソコンの分野に興味を持ち始めたのは・・・。

更に成り行きは覚えていないが、とにかくパソコンの件で君を初めて家に招いた。ゲームもよくした。その日から、君の見方が段々と変わっていった。

俺の要望により、君はあるゲームを貸してくれた。あれは・・・もうここでは言い表せない程の良作ゲーム。それをやって二週間程憂鬱の中を彷徨った俺だけど、あれのおかげで何だか、自分が変わったような気がする。ゲームに影響されて、と言えば聞こえは悪い。大部分の人が誤解するだろう。しかし俺はゲームなんて読書となんら変わりのないものだと思っている。

ゲームだって、そう。読書だって、そう。テレビだって、映画だってそう。結局元を正せば文章から始まるのではないか?その文章をよりリアルにするために、俳優がいて、声優がいて、音楽担当の人がいて、となる。だから、俺はそんな偏見を持たない。

けれど俺がそのゲームをやって以来、誰もが「あの頃の哀歌はよかったのに・・・。」と( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )アラヤダするようになった。まぁ・・・確かにそっち系のゲームをやってるわけですけど、別にオタクとかヲタクとか、そっち系じゃないと思うんです。ただ、ゲームをするだけ。グッズを買うとか、そんなことしてません、ハイ。

誤解しないでくださいね・・・マジで。一応誰が見ても好青年に見える、って言われたことありますから。(それで中身はオタクなんだろう?なんて思っちゃいやん・・・。)

別に後悔はしていない。君にそういった道を教えてくれたからこそ、今の俺がいる。今の知識がある。だから、君には本当に感謝している。そして、春から同じ大学に通うことになるけど、また長くよろしくお願いします。そして、発表会、次回のは何があっても着てくださいね。お願いだから・・・。本当・・・マジで。

ありがとう・・・。

あーっと、ちょっとこんなこと言うのは何なんだけど、君のちょっと知ったか癖、直したほうがいいと思う。話していると結構間違った知識が多いと思う。まぁ知ったかしてないつもりっていうのも多くあると思うから、それは仕方ない。けどね、

君「○○ってA大学通うんだって。」

俺「いや、B大学だよ。」

君「いや、Aだって。」

という会話がよく起きる。そしてどちらが正解なのか、それはケースバイケースだ。しかし、一度、断定せずに、もう一度確認するようにしたらどうだろうか?例えば・・・

君「○○ってA大学通うんだって。」

俺「いや、B大学だよ。」

君「え?そうなの?」

といった感じで。そうすれば・・・いいと思うよ。うん・・・いいと思うから。
K・S君。

出会いは海外研修。いまでも忘れないぞ。

D・S君から俺への質問。

「K・SがSADSの忘却の空聞きたいらしいんだけど、哀歌ちゃん(俺は苗字にちゃんづけで呼ばれております。ここでは響きが女っぽいですが、決して俺は女性ではありません。そしてね○○ぷでもありませんw)持ってる?」

そして俺の返答

「あぁ持ってるよ。別に俺は聞かないから貸してあげるよ。」

「マジで?ありがとう」(返答がこうであったかは不明w)

それからホテル内で何気なく貸したMDについての話をするようになった。

それから海外研修が終わり、高校になって、海外研修で貸したMDの話、実は君も黒夢ファンだった事実、流れは覚えてないが、俺が君のフットサルチームのマネージャー探しをさせられた事など、いまだに鮮明だ。それからもう黒夢のCDだの、SADSがCD出したら即効で録音したりと興味が同じでなかなか付き合いやすい人だと思った。しかしある事件によって、それはもろくも崩れはじめることになる・・・。

ある冬の日、体育の授業にてバレーボールをしていた時だ。どういう経緯でこうなったかは今や記憶外だが、とにかく今もその後遺症が右足に残っている以上、俺の中からは抹消することのできない一つの史実がある。

恐らくジャンプして着地の時だろう。激しく右足(かかと付近)に激痛。どうやら挫いてしまった様子。激しく痛い、激しく歩けない。そのせいでその日の夜のテニスは休まざるを得なかった。

そして翌週、体育の日。種目はサッカー。いまだに右足は芳しくない。当然右足でサッカーボールなんて蹴って御覧なさい。そりゃもう、絶叫が校庭にこだましていたところです。というわけで形は参加していましたが、ほとんど動かずに右足の治療(ってか悪化しないこと)に励む。しかし程なく・・・

「哀歌君、動きましょうよ。」

とK・S君からの軽い忠告。しかし俺は動くわけにはいなかった。本当に、やばいからw走るだけでも結構厳しいものがあるのに、それにも関わらずボールを蹴るとなると、そのボールにかかる蹴る力が、作用反作用の法則により、同じ力が足に返ってくる=右足に激痛ということだけは避けなければならない。というわけで、ひたすら右足の治療(ってか悪化しないこと)に励む。

しかし更に程なくして、俺とK・S君の間に修復不可能なほどの溝を作った一言、というか罵声。

「ボケっと突っ立ってないで、少しは動けよ!」(これまた本当にこう言っていたのかは不明。)

(やべぇ・・・怒らせちゃったぞ・・・。困ったな、サッカーやりたいのはやまやまなんだけど・・・動くと痛い、だが動かないと怒られる・・・。)

俺の中で起こる葛藤、そして導き出した答えは・・・。

右足を引きずりながらでも走る!そして蹴るのは左足。正確性は激減するにしても、とにかくこれ以上K・S君を怒らせることにはならないはずだ。

というわけでゲームに参加。しかし痛い。やっぱやめよう。

・・・じゃなくて、痛みを我慢しながらも必死にボールを追う。本当必死でした。なんとか左足でボールを蹴ったりする。これで形たけは積極的に参加、ということにはなっただろうwでも間違えて右足でトラップした時は、そりゃもう発狂もんですw

それからK・S君との仲は険悪になり、高校生活は彼と一言も会話をすることはなかった・・・。






























というのはまったくの冗談です。それからなぜだか彼は怒っている様子もなく、普通に友達として付き合うことができましたw

後高3の夏に誤解は解けるわけですが・・・長かったw

思い出深いのはまだまだある。

彼の座右の銘は「Remember to balance your life」それは海外研修にてオーストラリアで教えてもらった言葉だそうだ。

これが何に繋がるのか・・・

何でしょうね・・・。

女子サッカーに対して偏見を持つ一般大衆を疑い、それを改善しようと努める彼。そして恋に落ちた(落ちたのか?)彼は、ある女子サッカー選手に、わざわざ夜行バスに乗り、貴重なゴールデンウィークを潰してファンレターを直接届けに行った。そして・・・

第二回戦、血を分けていない三兄弟が、彼の手伝いをする(手伝いしたのかな・・・?)ことになった。

彼が恋するその選手は怪我のため出場はしていなかったのだが、それが幸を添うし、なんと受付にその人はいたのだ。

いきなり試練が待ち受ける彼。もう心臓バクバクだったんでしょうねwそして彼は緊張を和らげるため、そして千載一遇のチャンスをじっと待っていた。

そして勝負の時、彼は突っ込んだ。俺とD・S君は遠くで成り行きを見守るしかなかった。

帰ってきたとき、(確か)彼は満足していない様子だった。(本当はどっちだっけな・・・)それでもそれを成し遂げた彼はすごいと思うんだけどね。どうせ俺にはそんなチャンスは・・・って別話になるからまた後日・・・。

そう、俺がファンレターを渡したいほど好きだったあの人。その人の曲が、いやその人を見れば、友人は(多分)俺を思い出していたことだろう。そう、彼女の存在が俺の存在(?)

それを逆に利用(?)して、俺はみんなに感謝の気持ちを伝えることにした。ピアノで彼女の曲を弾こうと思ったのだ。それを二年、必ず発表会にきてくれて・・・

ありがとう・・・。

ありがとう・・・。君には俺が思う「ありがとう」の一言の大切さを教えた。どんなお礼もいらない。その一言で俺は十分だということを。だから、ずっと「ありがとう」の重さを忘れないで。そしてそれを伝えていってくれ・・・。
これからは「ありがとう」の中でも、「心からのありがとう」を伝えたいと思います。

Y・A君。

中2から、君の姿を見た。第一印象は「なんだか髪がサラサラだなぁ」だったかなwそれから君にどうやって近づいていくかを考えた。それで一つの案が浮かんだ。

「適当な名前を押し付けよう。」

というわけで、イニシャルからも分かるのですが、「ひろし」と呼ぶことにしたwなんでその名前が思い浮かんだのか今となっては分からないけど、君とはそうやって近づいた。普通なら恐らく怒られるんだけど・・・。

「確か、ひろしだっけ、名前?」

「いや、違うから(笑)」

いつもこうやって笑って付き合ってくれた。

それから中3になってクラスが変わってしまった。けれど特進でまた一緒のクラスになった。

とにかく君は頭がいい。どう頑張っても実力テストじゃ勝てなかった。(一度模試で俺の得意な英語で勝てたけど・・・。)それでも君とはずっと仲良くやったと思う。

とある数学教師の口真似、俺達しか分からない俗語、というか全てが楽しかったなぁ。

外から見ても君は友達の頼みごととか結構受け入れるよね?君は優しい、本当に優しい。

それは俺にとってだけど、まぁ俺と同じで結構陰口言ってたよね?それでも君と笑い会った日は楽しかった。

今でも忘れられないのが、君と、俺を含めた五人と一緒に焼肉を食べに行った日に、俺がチューハイをジョッキ8杯飲んで吐いたときに、君は肩を貸してくれたよね?あれは相当迷惑をかけたと思う。体格がでかくて重かっただろう。ってか、吐いたばっかだから、独特の臭さもあっただろう。けれど俺の酔い言にも付き合ってくれて・・・。

それからパワプロ9!これは熱かった。対戦しまくったね。確か君から借りてからずっとやってた。俺は(普通は野手を作る人が多いらしいけど)投手ばっかり作ってた。君は結構やり込み派で、以前99開幕版をやってコテンパンにやられた記憶があるけど、9では俺の投手が格段に君より上だった。(その代わり野手は君の方が上だね。)そして何度対戦したことか・・・。今のところは戦跡は俺の3勝1敗だね。もっと君を打ちかましてやるさ。

ってか、君の過去を知って俺は驚いたよ。小学生の頃はほとんど学校行ってなかったんだね。通称引きこもりってやつ?でも君と始めた中2は全然そんな面影は見られなかった。それに3年間高校一緒だったけど毎日来てたよね。多分君には楽しく笑いあえる友達がいなかったんじゃないかな?君がそんな友達を見つけられたことが嬉しいよ。君の高校生活において、俺がそんな友達の一人でいられたなら、それは本望だ。

君がいたから高校生活は楽しかった。これははっきりと言える。そして俺は君のことを一番の親友だと思っている。相談に乗ってくれるし、丁寧に俺のボケ一つ一つに突っ込んでくれるw

人が死んで閻魔様に会う時、生きてきた中で友達の名前をいえなかったら地獄に落とされるそうだ。どっかのドラマで聞いたことがある。もしそうであるなら、俺は迷わず君の名前を大声で叫んでやろう。

本当に・・・君には心からの感謝の言葉を告げよう。

ありがとう・・・。

28個のありがとう。

2004年2月27日
Y・M君。

ごめん。第一印象はかなり悪かった。というか、優男っぽくて、どことなく女性に見えて・・・。でも、君は優しい人だった。

中3の時に確か一緒のクラスだったね。その時は、明治大学に、GBAを改造してAO入試で合格してたあの虎小僧の保護者かと思ってた。(仲よさそうだったしね。)

高校に入ってから一緒のクラス。あまり君とは交流はなかったけど、あるあだ名がついてから、君の事を悪く言っていたのは否定できない。今考えれば、本当に失礼なことをしたと思っている。ごめんなさい。君は本当にいい人だったのに・・・。

というか、俺等の学校から、君みたいな名門校に行く人がいてよかったね。もう今年の受験生は終わってると思ってたけど、君は一筋の希望だった。合格おめでとう。

そして俺もAO入試の時には色々相談に乗ってもらったよね。結局落ちちゃって活かせなかったけど・・・。

本当人は外見で判断しちゃいけない。ごめんなさい。君にはもう謝るしかできないよ。あんだけ言っておいて、今更チャラになんてならないだろうけど、何度でも謝ります。ごめんなさい。

そして君の優しさ・・・

ありがとう・・・。

A・M君。

久しぶりに中1からの友達が来たな。予断ですが、6年間ずっと同じクラスって奴がいません・・・。ものすごく寂しい・・・。

確か君とはモンスターファームから友達になった気がする。しかし中1の頃はそれだけしか覚えてないやw

中2も同じクラスだったね。確かその時は・・・馬鹿な奴といつも笑いあっていた。その彼は中3にいなくなったけど・・・。

それからお互いヴァルキリープロファイルにはまりだして、色々やってたね。そして一番大きいのは、FFアドベンチャー2でしょ!こりゃもう懐かしすぎる。確か名前は「ちびすけ」だったね、君。俺の名前は・・・まぁ置いておこう。

中3の頃、(俺は知らないけど)テスト中に大失態を犯したらしいじゃないですか。まぁ今はもう言いませんよ。そんな根掘り葉掘りする真似はやめますね。

高校に入ってからは結構仲良くやってたね。色々からかったりもしたなぁwというか、からかいのネタがあまりに多すぎたよ、君。俺はあんまりしてないけど、結構周りからいじられてたね。けど、そんな嫌(?)な事も全て思い出になってしまう。まだ今の時点では君の進路については知る由もないけど、受かってることを祈っているよ・・・。

というか、ホモに気をつけてね・・・。結構うちのクラスに似たような真似してるやついたからw(君にはそんな気がないけど、周りにそんな奴らいると、危ないよw)

本当に楽しい思い出を

ありがとう・・・。

T・Y君。

ってかね、考えてみれば、俺いれないと「28個のありがとう」にならねぇじゃん・・・。あー・・・担任の先生がいたな。でも俺の名前を入れておかないと寂しいから、一応乗せておこう(何

K・Y君。

中2頃か、一時期トランプがはやったな。その時、S・Y君の隣によくいたのが君だった。それからどうやって親しくなったのかは覚えてない。中3の頃にバイオハザードで親しくなってうちに遊びに来たのは覚えてるけどw

ってか中3の時はすっごく俺は君の近くにいた。席替えとか、必ず君の後ろに行ってたから。

君の絵の才能は羨ましかったな。どうしてそんなに上手くかけるの?ずっと憧れてた。美術で高得点、羨ましい限りだ・・・。

そして、感謝することは、高校ずっと朝一緒に登校したことだ。なんだか毎朝俺のつまらん話を聞かせていて悪い気がする。

大学、一緒のところに合格したけど、結局進路はどうなったのかな?

毎朝ずっと一緒に登校

ありがとう・・・。

S・Y君。

本当に第一印象というものは簡単に覆る。見た感じ、君は本当にクールそうで、かっこよさそうで、憧れだった。

が!

実際はどうだったのだろう。くだらない話をして、すっとぼけてて、物凄く楽しいやつだった。時にうざったい事を言ってくるが、俺が言い返すと、すぐに反論で負ける君がおもしろい。

けれど君はいい奴だった。今でも覚えてる。無理やりラジオを利かせるために毎晩土曜日に1時まで起こしていた事。今となってはなんであんなのにはまっていたのだろう、ともう過去の汚点ですwそれでも毎週月曜日の「聞いたか?」チェックには大体答えられていたな。本当迷惑かけてた。ごめんw

ってかね朝の登校、すっごい話しづらいぞ。朝はテンション低いのか?(ってか俺も普通は低いんだけど)

君も絵は上手だったよなぁ。ふと机見ると落書きしてあるしwそして上手いしwさすがはDIO様!!!w
今度時止めてくれ・・・w。

でもなんでお前がDIO?似てるから?まぁ似てないこともないけど、中身が違いすぎるぞwまぁジョジョ好きってのが理由だろうな。結構ジョジョ好きはあんましいないから、話せる一人だったよ。

君はもう一人の奴とからむと、なんか+αの力だすよねwすっごいいいコンビだったように思える。+αの力がだせるからこそ、二人でいると、やってることの馬鹿レベルがあがってるしw

それでも今君の思い出話を聞くと、それが笑えるんだよね。本当、君みたいな奴、他にいないぞw

俺の我がままに付き合ってくれたり、話相手になってくれたり、時には蹴られ役(これはお前が悪いんだからなw)になってくれたり、本当に

ありがとう・・・。

28個のありがとう。

2004年2月22日
S・H君。

まったく学校に来ていない君に何があったのか知らないが、一体それは何が原因なのだろう?AOで受かったから学校に来る意味がなくなった?京都の大学に受かったから一人暮らしが心配で、精神的にまいったのか?それとも・・・。

中2の頃君に出会った。最初は・・・確かに明るい人で好印象を受けた。そして誕生日が近いということで、誕生日プレゼントもあげたね。けれど、よからぬ噂を耳にした。

君は中1の頃にいじめられていた。というか、はぶられていた。というかうざがられていた。それほどまでにむかつく奴なのかと思って、少し距離を置く事にした。離れてみていると、君がどれほどまでに嫌がられているのかがよく分かった。

時が経って高校になった。その時には俺は中2の頃のことをあまり覚えていなかった。そして普通に付き合っていたが、再び周りから非難の声が上り始めた。そしてそれを俺は実感し始めた。

冬休みのスキー企画。君は・・・なんだろう、当たり前のようにその話に入ってきた。誰も誘っていないのに、勝手に話に入ってきて、あたかも自分が行くのは当然のように・・・。それが・・・俺は気にいらなかった。態度がでかいのか、自己中心的なのか、分からないけど、それで俺は君との付き合いをやめることにした。

だから一緒にやっていたカポエィラも止めた。そして、君を嫌う人が続々と増え始めた。

それから陰口を言う人が出始めて、少し衝突もあった。けれど・・・

俺は君に責任があるんだと思う。自分のことを見直して、そして悪いという事を自覚しなければならないのだと思う。それをしていないから、困った時に助けてくれる友達は少ない。今精神的に辛いといっても、同情してくれる人も少ない。

これも人の振りみて我が振り直せ、という事を学んだ。

ありがとう・・・。

M・H君。

中3の頃、予期せぬ転校生が来た。一体どんな人かと思っていたけど、なんだかさわやかな人だった。けれど当時の俺は誰でも第一印象は悪いようにと思っていたから、何かと毛嫌いしていた。

そして時が経ち、君と初めて話すようになったのは、海外研修の時だ。俺と友達がOFFで買い物に行ったとき、君は家族で買い物に来ていたね。そして自分の携帯がぼろくて、たくさんの人をメモリ登録しないと買い換えてもらえない、ということで、俺達が協力してメモリ登録をした。それからかな・・・高校に入って何気なく話をするようになったのは・・・。

君の趣味はスケボーだね。まったく知らない俺にとっては、あわせるように話をするのも難しかった。音楽の好みも合わなかったし、本当に君とはある一定の距離を保ったままだった。話そうとしても、痛々しいくらい、話の骨が折れてしまう。君と付き合うのは本当に難しく思えた。

けれど焼肉パーティーから少しずつ距離が縮まったように思えた。それから少しだけ、君に話しかけるのが容易になった気もするし、ふざけて俺に話しかけてくるのも多くなった。

高校生活が楽しかったのは、君が中心にいたからだね。中心にいたからこそ、学校に行くのが楽しかった。そして、それに俺がいろんな教材、訳ノートを貸すことよって相互依存の形を取れた。ずっとこんな関係続くといいね。

ありがとう・・・。

28個のありがとう。

2004年2月21日
S・N君。

中2の時、初めてみて、君は俺の目標だった。かっこいいし、頭いいし、正にパーフェクトみたいなwすごいですわ。俺になんか勝ち目ありませんものwでも、君とはずっと親しく付き合うことなんてなかったね。俺の性格に問題があったのかもしれないけど、もっと早くから親しくしておけばよかったと思う。つい先日、君からメールが急に来てビックリしたよ。それで、やっとのことで君をメモリに登録することができた。けれど・・・それでももう遅すぎたのかもしれない。君とは・・・全然親しい付き合いをすることはできなかった。

話が合わないっていうのも原因だったね。君の好きな音楽、ゲーム、世間話、全てずれていた。だから、君を避けていたのかもしれない。俺は、初対面の人に自分から話しに行くっていうのが苦手だから、ずっと君と距離を置いていた。今となってはとっても悔しいよ。

手遅れなどということはあり得ない。生きている。それだけでチャンスはいくらでもある。

ある格言だけど、本当にそうかもしれない。そして時間なんて関係ないのかもしれない。たとえ短い時間であろうと、君と過ごせる時間があるだけで、親しくなれるチャンスはある。もう恐れない。恐れる必要なんてない。話を振って、それが君にとって興味のない話であるなるなら、そこで話をやめればいい。後悔することもない。恥じることもない。

恐らく大学に行ったら、きっと周りの人との付き合いは、君と最初に会った時の状況になるはずだ。君と出会えて、人の付き合いのことを学べてよかった。

ありがとう・・・。

T・H君。

最初は実は君のことが嫌いだった。でもそれは自分の感情じゃなくて、周りに影響されたからなんだ。ごめん。

けれど高校に入ってからはその気持ちもなくなっていった。君と俺を結び付けてくれたもの、それは三国志(というか三国無双)だったね。俺がやり始めたこと、ちょうど君も同時期にはまってしまっていたね。それで一緒に話し合って、そして親しくなっていった。そうそう、三国志全巻貸したよね?そして、君と他の友達が一緒に泊まりに来たこともあったね。そして、毎回焼肉パーティーに行くよね?おもしろかった。俺達一度飲み対決して、お互い三回吐いたよね?w

そんな俺達、焼肉食って、酒飲むって間柄が続くといいよね?いや続いてほしい。お互いどちらかに嬉しいことがあれば、連絡しあって食べに行く。そうありたいね。

そして色々アドバイスをくれたり、励ましてくれたりもしてくれて

ありがとう・・・。

H・H君。

あまり思い出がない。というかまともに話したことあったっけ?みたいなw

高3になって、君と俺は似た道を歩き始めた。そう、普通はあり得ない道。理系でもなければ文系でもない。普通は理科か日本史の授業の合間に自習している俺等wアリエナイ

・・・ま・・・まぁ、とにかく君はつかみ所がない人だったけど、ある意味では俺達のクラスの中で必要不可欠だよね。

ありがとう・・・。

なんか無理やり終わらせてないか・・・?

K・H君。

最初はね・・・君がとってもクール人だと思っていたよ。でも・・・

高校に入って、俺の中での君の像はもろくも崩れ去った。だって、体育後の理科の時間のある人の証言が・・・。

「臭い・・・。」

体操着はとりあえず適当に荒いに持って帰ってください。

そして君、しょっちゅうにやけすぎ。ほぼ全員から気味悪がられてますwそしてmurmurするのやめてください。それもまた気味悪がられてます。

・・・とにかく、人の振り見て我が振り直せ。

直します(マジで)

それから、ロッカーに行くのに、何もとらず、ただロッカーに手を突っ込むあの行動、何ですか?w

ありがとう・・・

・・・?

28個のありがとう。

2004年2月20日
Y・S君。

ようやく来たよ。中1からの友達だね。でもあまり中1の時は親しくもなかった気がする。けれど、なんだか小顔が羨ましいとは思っていた。

忘れられないのは、俺とフット猿がAO入試だった時、君も一緒の日にAO入試だったよね。前日に友情タッグ(面接)練習をしたのは今でも忘れない。でも結局俺だけ落ちるはめに・・・。

それから君には彼女ができたね。なんだかかなりのラブラブなご様子、幸せそうで羨ましいよ。

そうそう、受験の前に、お守りくれたよね?本当にあれのおかげで受かったのかもしれない。彼女さんにもお礼を言っておいてね。

ってかね、明るいのはいいんだけど、程ほどにしておいたほうがいいよ。よからぬ噂がたっているからね。授業中とか大きな声で喋りすぎとか・・・。場の空気を読めればもっといいかもしれない。

刃。そういや俺等しか話せないよね。よく話したもんだ。ってか中1の時、俺の家に遊びにきてよくやってたっけ?おもしろかったなぁ。

ありがとう・・・。

D・S君。

いつからだろう・・・。君と出会った日が思い出せないんだ。けれど、本当にいつの間にか話しているようになったよね。中3の時には、本当に自然と話していた。不思議だね。

高校にいって一緒のクラスになって、確か一番最初に、俺があの人を好きになった時に報告したよね。なんだか、君は信頼できるんだ。そして俺以上に背がでかいから、どこか落ち着けるようなところがある。けれど、どうしてもあんまりプライベートで付き合ったり、話はあまりしなかったよね。

けれど、フット猿と俺と君で、非公認の義兄弟の契りを結んだねwってか、俺二番目にでかいのに、なんで長男になってんの?w結構三人で出かけたよね。フット猿の一世一代の勝負の時とかさwそして、君は発表会にフル参加してくれたよね。本当に、嫌な顔一つしないで来てくれて、ありがとう・・・。

不思議とあまり文字にできないんだ。本当は、もっと、もっと書けることがあるのに、どうしてだろうね・・・。けれど、君へのこれは、他の人よりもより大きな意味を持っているから・・・。

ありがとう・・・。

M・N君。

野球部で、キャプテン。けれど、その・・・何ていうか、とっても付き合いやすい人だね。中から知り合って、今まで、本当に楽しかった。

古文の時間に毎回肩と背中を揉んで、っていつもやってたね。それでいつもありがとうって言ってくれたね。

いつも君がいう冗談はおもしろかった。そして、一番驚いたのは、去年のピアノの発表会に来てくれたことだった。あの時は、感謝の気持ちを伝えたかったから、友達は一人でも多く来てくれたほうが嬉しかった。ほんとうにありがとう。

特進だからこそ、いつも君は上を目指していた。目標高いね。でも君はずっと勉学に勤しんでいたね。時には昼寝して、戦士の休息していたね。そして起きると、すぐに勉強モード入って・・・。僕には真似できないよ。君はすごいな・・・。

たとえ浪人しても、ずっと俺は応援しているから。頑張れ!そして・・・ずっと毎日を楽しくしてくれて

ありがとう・・・。

28個のありがとう。

2004年2月17日
S・K君。

突然ですが、さっきから紹介している友達の中で、中1からの知り合いってでてきてないなぁ・・・。なんか寂しいぞ。

というわけで、君も中2からの知り合いだったね。やっぱり唖然としたのは君の白髪wすごいね、その数相当苦労した人なんだなぁっていつも思ってた。でも、もしかして苦労って関係ないの?

いつも俺をからかってくれたよねwでもいやらしいからかいじゃなくて、いつも俺を楽しませてくれるからかい方だった。俺のムードメーカーと言っても過言じゃないね。

やっぱり去年学校で行った、湯島天神が、からかいの元だったねぇ。源道長だったっけ?あれで俺が代表でお払い(お払いだっけ?とにかく神の力を、生徒均等に分けるんじゃなくて、俺が代表に行ったから、俺が全ての力をもらいうけたわけで・・・。)あれからずっと「ミッチー」だったね。呪われてるだの、とり憑かれただのw

そんな君の明るさ、今までずっと・・・

ありがとう・・・。

H・K君。

引き続き中2からの友達が続くねぇ・・・。

内気な人かな?って思った。最初の頃は全然喋らないし、暗かった。けれど、親しくなってみると、結構ゲーム通なんだね。大体俺と好みがあってたから、いろいろ話したよね。

最初声が小さくて、「もっと大きな声で喋れよ!」と言いそうになったけど、ずっと後に知ったことだけど、一種の病気だったんだね。悪いって気持ちがある。

けど、やっぱりもう少し大きな声で喋れるように努力しないと、後々辛いことになるよ。だから、もう少し頑張ろう。

三年間

ありがとう・・・。

T・S君。

ごめん、中学校はほとんど君の事は知らなかった。高2の時に特進に上がってこなかったら、それこそまったく知らなかったよ。しかし、君は・・・なんというか・・・。

すっごいcut inだ!w耳に入る話が自分の知っていることで、更にそれが疑問であり、自分が答えを知っているならば、迷わずcut in!びびるよ。すごいよ。ってか色んな意味でクラスの人気者だよw

楽しい思い出・・・

ありがとう・・・。

28個のありがとう。

2004年2月15日
Y・K君。

いつでも勉強してるね。本当何の教科が好きなのか、正直分からない。そして勉強が分からない時はお世話になったね。

ごめん、君と初めて会ったのがいつか、はっきりと思い出せない。確か中2だった気がするけど・・・。その時は特に友達としての接触はなかった気がする。俺がいつも君のことをどういう風に見ていたのかも覚えてない。けれど、高校に上がってから、その存在が際立ったね。模試において、君は理系にも関わらず、日本史の点数が文系よりもよかったのを覚えている。

というかね、帰り道歩きながら参考書読んでると、いつか轢かれるぞw充分に気をつけてな。

いつまでもカルピンと呼んでも反応してくれなかったのが、ちょっと寂しかったぞw

ありがとう・・・。

H・K君。

まともに話した事、この6年間なかった気がする。でもそれは俺だけじゃなくて、クラスにたくさんいるだろうね。確か中3の頃に始めて同じクラスになったけど・・・だめだ、やっぱり話したことを思い出せない。

極度のシャイ?極度の内向的?よく分からないけど、君の事がちょっと心配。大学行って、その態度を続けていると、多分危ないと思うよ。もう少し、友達と付き合ってみてはどうかなぁ・・・。

ありがとう・・・。

K・K君。

今でも覚えている。修学旅行の時、確かドラマで「池袋ウエストゲートパーク」をやっている時だ。いきなり部屋に来て、何をするのかと思えば、腹筋して、押入れのふすまを少し開けて心霊写真を撮り始めたね。結局写ってなかったけど・・・。

それから高校に上がって、一緒にテニスをするようになった。でもさ、いい加減バックハンドの距離感を覚えてほしい。ありゃどう見ても近いところで打ちすぎだと思うよw。

というか、学園祭の時から、あの一件でT君とまであだ名(というか悪口か?)が付いたね。当の本人は知らないと思うけど・・・。そしていまだにT君の由来を勘違いしている人もいる。

高2の修学旅行の時か・・・。あの時君とある人の仲が険悪になったと思ったけど、今はあれってどうなってんだ・・・?

というか、中傷的な文章はやめよう・・・。題名の通り。

いつも思うけど、サーブの時、あれきょどってるというか、躊躇いすぎじゃないのか・・・w

ありがとう・・・。

28個のありがとう。

2004年2月14日
K・A君へ。

君と話し始めたのは、中学三年の時だったかな?その時は君の事はまったく知らなかった。だけど、第一印象は悪くはなかったよ。一番君と過ごしてきて印象に残ってるのは、あの階段を一気に何段上れるか?っていうゲームをやったことだね。最初にいきなり6段を一気に飛ばれた時は、君を師匠と崇めていたよね?それから今までずっと、君のことは師匠と呼んでいたね。でも結局俺が7段を一気に飛んだ覚えがあるんだけど・・・w

高2になって、君は特進に上がってきたね。でもそれからあまり親しい付き合いはなかったよね。修学旅行等で、一緒にゲームをした(したっけな・・・?)くらいかな、一緒に遊んだ記憶というのは。

君の運動神経には、驚かされたよ。何にでも、真剣で、万能で、すごいなぁ、ていつも思っていた。そんな君から、何にでも真剣に取り組む姿勢を学んだよ。

大学に行っても、頑張って、その姿勢を貫いてね。

ありがとう・・・。

H・I君。

中2の時、初めて君と同じクラスだった。野球部に所属する君に話しかけるのは、すっごい苦労した。確か初めて話したのは、パワプロ君ポケットが流行していた時だったね。そうやって友達ができてきて、作った選手を見せるたび、君は本気で感心していたね。だから、やたらと君の名前を使って選手作っていたのを覚えているよ。危なくなって、ホモ説流れてそうで、今となっては、後悔ばかりしてるけどね。それからはクラスが変わって、離れて、親しく遊ぶってことはなかったね。

特進にきて、勉強に忙しい毎日だったけど、君は軟式野球頑張っていたね。凄いと思ったよ。例え忙しい日々でも、好きなことをするには時間を作って取り組んでいた姿勢は、本当に感心するだけだった。そんな君からは、好きなことに対する強い気持ちを学んだよ。

ありがとう・・・。

Y・O君。

君も中2の時が初めてだね。同じくパワプロ君ポケットから親しくなった気がする。確かその時は、何かとバスケ部員にちょくちょくはぶられたり、いじめられたりしていたのを覚えている。というか、外見上は全然分からなかったから、友達から聞くまで分からなかったけれどね・・・。それでも、俺としては、別に悪い人には見えなかったよ。H・I君と同じで、君も中3で離れた。けれど、また特進で一緒になったね。それから普通に付き合ったけど、中3になってから、急に親しくなった気がする。発表会直前の自宅訪問で、君の家で飲み会。今でも忘れない。それに「Y・O、青くねぇ?」の名言も忘れないw。確か俺が酔っ払ってどっかの部屋に突っ込んだのも忘れないw(でも当の俺はそんな記憶ないんだけどな・・・)それからパワプロ9ではまって、勝負したね。でもあの時は、本当俺は汚い真似をした。俺は投手だけしか作ってないのに、友達から野手を借りて勝負したんだった。「自分の選手で闘おう」とか何度も言ったくせして、当の俺がそれを破って・・・。本当、ごめん。けど、二戦目からは、ちゃんと俺の作った選手だけで勝負したんだよ。

それから、パソコンに興味を持ってから、色々教えてもらったり、教えたりしたね。これからもそんな付き合いでもいいから、友達でいよう。困ったら、(俺ができる範囲でだけど)協力するよ。

妥協はしない。って口癖だったよね。大学選びは妥協しないって言ってたけど、ネットゲームがどうのこうので、結構妥協してない?w。でもそのセリフを聞いてから、あまり妥協はしなくなったよ。(多分)妥協はしない。これを教えてくれて・・・

ありがとう・・・。
すいません。報告が遅れましたが、大学合格いたしました。そこともう一つ、記念受験的に願書を出した学校だけだったのですが、とりあえず、最悪の浪人という状況は免れる事が出来ました。でも、記念受験で受けるところ(っていうか慶應大学の環境情報学部なんですが・・・)はやっぱり行きたいので、勉強しようと思うのですが、やっぱり他のところで合格したので、やっぱり勉強しようって気がでないんですよ。やっぱり記念受験で終わりそうだ・・・。(記念受験のところは20日が試験です。)

ちょっと体が疲れているので、また後日・・・。
昨日、試験が終わった。感触は、とにかく微妙としか言えない。得意の英語に間違いを二つ発見。現代文も、漢字、語彙を問う問題は、10個くらいあって、間違いは一つ(正確じゃないですけど・・・。)しかし本文の内容を問う問題は合っているのか、確かめようがない。だから結果が読めない。

だからなのかもしれない。AO入試で落ちたときよりも、なぜだか凹みようがひどい気がする。いや、その原因は兄貴のあるのか・・・。

兄貴が帰ってきて、今日の感触を聞かれた。英語はとにかく微妙だったが、変に攻められるのも嫌だったので、「まぁまぁできた。」と応えた。だが、「まぁ英語はできて当然だからな。」と、今になっては英語の実力など底の底まで落ちた兄貴には言われたくもないセリフが帰ってきた。うざったい・・・。

そして現代文の結果を聞かれる。「分からない。」そう、現代文なんて、結果は分かるのか?英語は分かる。間違い探しにおいて、明らかに間違っている箇所など、100%の自信を持って言える。だが、現代文はそうはいかない。英語の長文は読める。内容を問われる問題等は、読めて、さらに選択肢だって、迷わず選べる。だが、現代文の文章はそうはいかない。長い、そして日本語は紛らわしく書かれている。とにかくいやらしい。それに選択肢の明らかな間違いすら探しだすのは難しい。だけど・・・

「それじゃあまずいだろ!お前浪人する気か?」
「そういうつもりじゃないけど・・・。」

怒涛の攻めが俺を襲う。言葉に詰まる俺に対し、更に兄貴は釘をさすように吐き捨てる。

「何遊んでんだよ。勉強しろよ。」

まだ、俺から勉強の呪縛は解かれない。そして、肉体の叫び声はまだ俺の体に響き続ける。肩甲骨付近の筋肉、腰。まだ鎖で雁字搦めにされたままだ。

眠るとき、俺の目から熱いものが流れた。なぜだろうか。なぜ流れるのか・・・。

俺は・・・矛盾した考えだが、ほしいものがある。ものというより、人・・・。

俺は勉強した。いや、大して勉強してないか。だが、俺はそれと引き換えに友達を大切にしてきたつもりだ。

かといって、俺はその引き換えに友達に何かを求めているわけではない。一緒にいて、笑って、楽しい時間を過ごせればいい。時々でいいから、少し優しくしてくれるだけでいい。いや、そんなことをしてくれ、と言うのではない。一緒にいてくれて、楽しい時間を過ごせるということは、みんなが優しいからだ。それだけでいい。それを、俺は高校3年間大切にしてきた。俺の生き甲斐はそれだから・・・友達にずっと、尽くせてあげられたら・・・。

けれど、それには何の評価もくれない人。友達はきっと、少なからず意識してくれていると思う。あの時俺がいたから、楽しい時間が過ごせた。何かゲームを貸してもらったから、楽しかったっていう思いがあるはずだ。だけど、それを本当に評価してくれる人はいない。だから・・・

俺は側にいてほしい人がいる。俺のしてきたことを評価してくれる人。「哀歌は頑張ったよ。それは、私が分かってるから。」そう側で寄り添うに言ってくれる人がほしい。俺のしてきたことを分かってくれて、そして優しく語り掛けるようにしてくれる存在。けれど・・・

そう、俺の考えとまた矛盾している。俺と付き合う女性は、恐らく不幸だ。俺が自分で自覚している嫌いな部分・・・。それがあるから、俺は付き合うことによって相手の女性と付き合うわけにはいかない。俺と付き合うことによって不幸な、無駄な時間を過ごさせるわけにはいかない。

けれど、俺は自分のしてきたことを、全て告白したい。全部聞いてほしい。そして、頑張ったね、って言ってほしい。これは俺のわがままだろうか・・・。俺のわがままのせいで、一人の女性の人生を踏み潰すような真似は許されるのか。そんなはずはない、許されるはずがないのだ・・・。
何度過去において失敗してきただろう・・・。AO入試という、入試の数を増やすもの。一緒に受けたフット猿はいち早く合格を決めた。落ちるたび、俺の抱えていたものが、大事に抱えてきたものが壊れてきた。ずっと、それをまた立て直してきた。そして二度、それは壊れた。

そして三度目が明日。一般入試で失敗するわけにはいかない。そうすれば抱えてきたものが壊れ、修復させるには一年間かかる。

友達は案じてくれた。親もそうだ。そして塾の先生だって、明日の合格のために、俺のために授業をしてくれたのだ。それを裏切るわけにはいかないのだ。

抱えてきたものを開放させたい。そして、やりたかったことを、したい。明日、俺が築いてきたものをぶつけてやる!そして、勝利を勝ち取る。譲れないと思うなら、掴むしかないのだ!
三月一日・・・。それは俺が18年と半年生きてきて、最大の悲しみが襲う日であろう。

卒業式。一体俺はどれほどのことを友達から得たのだろう。
どれほどの大切なことを学んだだろう。
今ある自分は全て友達のおかげだ。

迷わず言えることがある。

「お前は友人のために命を捨てる事が出来るか?」

「はい!」

生みの親のためには、恐らくこの命を懸けることは出来ない。だが、今の俺を作ってくれた友達、色んなことを教えてくれた友達のためなら、俺の命など喜んで捧げよう。

その友達に会えない日常が、春から始まろうとしている。時間は止められない。至福の時は刻一刻と失われていく。二度とこない昨日、そして友達と過ごしたあの日々。思い出すだけで笑えて、そして儚い日々だったと思う。

俺の願いは叶わない。ずっと、今の友達といること。叶わないけれど、友達の幸せはずっと祈っていようと思う。俺はどうなってもいいから、友達だけは、幸せになってほしいと思う。

友達だけは・・・
学年末テスト、換言すれば高校最後の定期テストか。しかし今日の科目は、理科or日本史と政経or生物。俺はこなくてもいい日だった。しかし、友達に会える日は無駄にはできない。そしてやはり来てよかったと思った。

最初から諦めてたんじゃ、何もならないじゃん。
まずはやってみなきゃ。
ありきたりな言葉だ。そんな言葉をかけられても、やってみようなどと再考することもない。俺の立場が分かってないのに、あまり軽々しく言ってほしくはない。やってみよう、という軽い気持ちでは、するわけにはいかないのだから・・・。

小さな別れ・・・。

2004年1月29日
最後の塾だった。三ヶ月前から通い始めた個人塾。授業中でも周りは、一対二、マンツーマンの授業をやっているので、集中はしずらかったが、それでもかなり楽しい塾だった。先生は大学生。すいません、三ヶ月間ずっと先生の名前が分かりませんでした。すいません片岡先生。

俺は一対二だったが、相方の女子高生は、推薦でいち早く大学を決め、新年が開けてからは、マンツーマンの授業となった。

そして今日が最後の授業。志望校の過去問題をして、そして・・・授業は終わった。

帰り道、なぜだか哀愁の念が胸を包んでいた。受験頑張って、と励まされて、ある考えが頭を悩ませていたからだ。

俺には大学合格の先に、一体何があるのだろう・・・。

恐らく今抱える悩みは、大学合格を決めたところで、払拭されることはない。そして、その悩みから生じるストレスにより、背中から腰にかけての体の痛み、そして長引く風邪、気管支炎。ずっとそれに悩み続けるのか・・・。

人はなぜ生きる?何をする目的で生きる?今俺は何のために生きるのだろう。

一つ決めたことがある。一つ物語を書いてみようと思う。主人公は、俺とほとんど同じ問題を抱えた大学生。そして、その青年と出合った一人の女学生。こんな設定で・・・。

少なからず、今小さな生き甲斐ができた。しかし、すぐに消えてしまう・・・儚い生き甲斐・・・。

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