よいお年を・・・。
2003年12月31日今年を振り返ってみる。
今年は受験生になった。とにかく定期テストにて評定平均値を落とさないように、必死に頑張り、4.4(だったっけな?)をキープ。Aランク確定。これで推薦への準備は万全だった。
推薦での入試が受けられると言う事で、一般試験への真剣さがなくなったと思う。某Y塾に行き始めて、破格の値段を払いながらもいった塾。ごめんなさい最初の一回で古文の授業は捨てました・・・。(だってさぁ、先生の態度っていうか、なんか口のクチャクチャ鳴らすクセがどうにも俺には生理的に耐えられなかった。)そして後はちゃんと55段階テストとかいうのには、頑張って出て行ったけど、日に日に科目数が減って、ついには夏期講習さえも取らなくなって、そして止めた。両親には本当に悪いことをしたと重いっている。本当にごめんなさい。
夏からは推薦の書類選考の準備をした。本当膨大な量をフット猿と一緒にこなしていった。一般試験向けの勉強もそれに時間を食われて(ってかやらなかっただけだと思うけど・・・。)あまりできなかった。
慶応大学環境情報学部。通称SFC。今考えてみれば、推薦入試の最高峰のところに、俺等凡人が受かることはあり得ないのだ。他の受験者と比べれば日を見るより明らか。だって海外でピアノコンテストで最優秀賞を取る人とかと争ったんですよ?そんなん不可能です。勝てません。ゴジラに蟻がケンカ売るようなもんです。
第一次推薦入試の結果が終わり、俺は自分のしたいことを考えた。一体俺は何の仕事がしたいのだろう?大学に行ってからでも、それを決めるのは遅くはないか?そういったことを危惧しながら、徐々に時間はなくなっていった。そこに飛び込んできたのは、俺のまずしたいことである仕事が声優であると知る、先生からの第二次推薦入試のお誘いだった。
横浜市立大学。国公立大学である。フット猿はそこを以前からずっと第一志望にしていた。そして俺の場合、声優以外にやりたい仕事がないということで、そこを受けてみてはどうか、というものであった。俺は国際文化学部、欧米文化学科を受験をすることにした。少なからずドイツには興味があった。
そして小論文の練習を重ね、事前に予行面接練習をし、準備は万全(とまではいかないだろうけど・・・)だった。そして当日・・・。
小論文はできたと思った。しかし面接でその自信も砕け散るほどであった。聞いてくる内容が濃すぎる。というよりツッコミが激しい。例えば・・・
「私はドイツで環境改善の技術を学び〜」
「ほう、それでは日本人がドイツの技術を学ぶためによく訪れる都市はどこですか?」
・・・
(・A・)ハァ?
結果、撃沈。まぁ当然でしょうね。でも以前から第一志望としていたフット猿は受かってよかったね。まぁそれが結果的に大きな差を生んだんだろうね。俺なんて別に本気で行きたいとは思ってなかったんだしね・・・。
友情関係でも大きなことはあった。俺は一人じゃないってこと。頼って、また頼られて、そんな関係がいつまでも続いていけばいいと思った。でもそれも来年で終わりか・・・。でも間違いなく言えることが一つある。中学、高校で得た友達以上の友達は、現れない。
来年はマジに勝負だ。もう落ちたじゃ許されない。頑張らなきゃー!来年は本当にいい年でありますように。そしてみんなが満面の笑みで卒業できますように・・・。
今年は受験生になった。とにかく定期テストにて評定平均値を落とさないように、必死に頑張り、4.4(だったっけな?)をキープ。Aランク確定。これで推薦への準備は万全だった。
推薦での入試が受けられると言う事で、一般試験への真剣さがなくなったと思う。某Y塾に行き始めて、破格の値段を払いながらもいった塾。ごめんなさい最初の一回で古文の授業は捨てました・・・。(だってさぁ、先生の態度っていうか、なんか口のクチャクチャ鳴らすクセがどうにも俺には生理的に耐えられなかった。)そして後はちゃんと55段階テストとかいうのには、頑張って出て行ったけど、日に日に科目数が減って、ついには夏期講習さえも取らなくなって、そして止めた。両親には本当に悪いことをしたと重いっている。本当にごめんなさい。
夏からは推薦の書類選考の準備をした。本当膨大な量をフット猿と一緒にこなしていった。一般試験向けの勉強もそれに時間を食われて(ってかやらなかっただけだと思うけど・・・。)あまりできなかった。
慶応大学環境情報学部。通称SFC。今考えてみれば、推薦入試の最高峰のところに、俺等凡人が受かることはあり得ないのだ。他の受験者と比べれば日を見るより明らか。だって海外でピアノコンテストで最優秀賞を取る人とかと争ったんですよ?そんなん不可能です。勝てません。ゴジラに蟻がケンカ売るようなもんです。
第一次推薦入試の結果が終わり、俺は自分のしたいことを考えた。一体俺は何の仕事がしたいのだろう?大学に行ってからでも、それを決めるのは遅くはないか?そういったことを危惧しながら、徐々に時間はなくなっていった。そこに飛び込んできたのは、俺のまずしたいことである仕事が声優であると知る、先生からの第二次推薦入試のお誘いだった。
横浜市立大学。国公立大学である。フット猿はそこを以前からずっと第一志望にしていた。そして俺の場合、声優以外にやりたい仕事がないということで、そこを受けてみてはどうか、というものであった。俺は国際文化学部、欧米文化学科を受験をすることにした。少なからずドイツには興味があった。
そして小論文の練習を重ね、事前に予行面接練習をし、準備は万全(とまではいかないだろうけど・・・)だった。そして当日・・・。
小論文はできたと思った。しかし面接でその自信も砕け散るほどであった。聞いてくる内容が濃すぎる。というよりツッコミが激しい。例えば・・・
「私はドイツで環境改善の技術を学び〜」
「ほう、それでは日本人がドイツの技術を学ぶためによく訪れる都市はどこですか?」
・・・
(・A・)ハァ?
結果、撃沈。まぁ当然でしょうね。でも以前から第一志望としていたフット猿は受かってよかったね。まぁそれが結果的に大きな差を生んだんだろうね。俺なんて別に本気で行きたいとは思ってなかったんだしね・・・。
友情関係でも大きなことはあった。俺は一人じゃないってこと。頼って、また頼られて、そんな関係がいつまでも続いていけばいいと思った。でもそれも来年で終わりか・・・。でも間違いなく言えることが一つある。中学、高校で得た友達以上の友達は、現れない。
来年はマジに勝負だ。もう落ちたじゃ許されない。頑張らなきゃー!来年は本当にいい年でありますように。そしてみんなが満面の笑みで卒業できますように・・・。
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