裏付け

2003年12月17日
確かに俺は落ちた。でもネガティブに考えていても仕方ないのだ。昨日友達に色んなことをぶちまけたら、なんだか心がスッキリした。行動もしないで、最初から諦めていてはいけない。まだ何が起きるか分からない。それに俺が何に対してもまだ大して知らないということもある。まだ声優の道も閉ざされたわけじゃない。ちゃんと調べていけば、きっと道は開けていくはずだから。

ポジティブに考えていこう。この場合はどう考えるべきか?

友達と一緒の境遇に立ち、共に苦しみあうことができる。一人浮かれているよりか、そっちの方が経験して大きなものとなる。大好きな友達と少しでも長く同じ立場にいられることの方が、幸せなんじゃないか・・・。

確かに俺は知識がない。高校から一歩でれば分からないことだらけだ。声優の専門学校とか、養成所とか、プロダクションとか違いが分からない。厳密に何が違うのか、まったく知らない。けれど、大学に行ってから、調べていけばいいんだ。何を悲観的になる必要があるのか?まだまだ俺はいける。思い悩んで落ち込んでどうする?

でもね・・・後悔するときだってある。後悔をむしろ試練だと置き換えて乗り越えて行って人間的に成長していけるようにすればいい。確かにそうは思うんだけど、そんな後悔の念が強くなったり、知識不足で落ち込んでしまったら、大好きな友達に少しだけでも、甘えていいかな?不安になったら、励ましてもらっていいかな?何よりも友達が俺の支えだから・・・。少しの間、まだ支えてもらってもいいかな?俺も力になるからさ、俺の力になってもらってもいいかな?少し木陰で休みたい時に、灼熱の日差しから守ってくれる大きな木に寄り添わせてもらってもいいかな?

俺は裏づけがほしいのかもしれない。何事をするにも、勝手な理由をつけてそれを正当化しているのかもしれない。

昨日微熱が出た。一ヶ月前からひき始めた風邪も、恐らく最高潮なのかもしれない。まだ体がだるいし、咳をすると体が悲鳴をあげてきしみだす。首も痛い。少し動かすだけで、抵抗を帯びる。そんな状況でも、俺はパソコンの前に立つ。矛盾してる。病人なら、寝ていろ。

眠れない。確かに英語は勉強したが、それ以上にやらなければならない現代文はやっていない。今日はパソコンの前に座っているか、炬燵で温まりながら読書にふけっているかのどちらかだった。勉強はできたかもしれない。だが、どうにもそっちに集中力が向かない。風邪のせいで体がだるいのは本当だ。だが、俺はそれのせいにして勉強を避けてはいないか?万全じゃない今の状況は、確かに勉強に向いてはいないだろう。けれで『できない』わけじゃない。風邪をひいているということで、それを理由、裏づけとして勉強を避けていないか?

どっちなのだ・・・どちらが正しいのか?パソコンの前に座っているなら、勉強もできるだろう。それでも勉強をしないのは、やはり裏づけとして、風邪をひっぱりだしているのでないか?結局ここでつづっていることも、誰かに『そんなことないよ』という慰め、同情をひこうとしてはいないか?こう考えれば汚い。俺は最も汚い。

だったら書かなければいいではないか。けれど、やっぱり悩みは聞いてほしい。人間は矛盾が前提となって構成されている生物なのだと、気がついた。

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